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2010年9月26日 (日)

『城館調査ハンドブック』

テキストこしらえるのに、あらためて読み直してみても、
縄張り調査をベースとした城郭跡調査のノウハウをまとめた書籍として『城館調査ハンドブック』は秀逸。
1993年に刊行されているのに、未だに遜色がない。
自分に印税が入るわけでもないけど、今の学生たちに「これ買いなさい」とオススメできる。
城郭跡に関する調査法が、文献史学的、歴史地理学的、考古学的な調査の手法で詳細かつコンパクトに整理されている。

もちろん閲覧方法が変わっていたり、マイラーベースのペーパーはさすがに入手難しいだろう的なものもあるけど、
本格的に城郭跡調査を行う場合、これに代わる書籍はありません。
当時の「城郭跡調査の方法を広く開陳し共有したい」という気構えがあるからこその内容と思いますね。

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今はすっかりお城とタイトルしたら売れるご時世なので、あちらこちらの分野から小遣い稼ぎな本が乱発される今日この頃。
似たようなタイトルの本がいろいろとありますが、どのように研究するものか?と知りたい方や、
これから城郭跡調査の実践をしようと思う方はコチラを仕入れて下さい。2100円で新人物往来社から。不朽の入門書です。

2010年9月25日 (土)

出講の疲れをながの湯でいやす。

25日は別府大学の集中講義に初出講。城館史料学概論としてやってきました。
90分×3コマの集中講義part1。
ちょっと、内容を盛り込みすぎたので、もう少し整理しましょう。
ボクにとってもいい勉強になります。学芸に留まらない幅のある行政経験と日頃の研究活動を活かしながら、
微調整して来週に備えたいと思います。

帰路は山越え県道&農道ルートの鶴見嶽→庄内→長湯経由。帰りに長野のながの湯に浸かって疲れをいやす。
分厚い岩盤でフタをする形になっているので良質の炭酸泉が湧く芹川沿い。

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川に沿って点々と温泉場が続くのが炭酸泉で知られている直入温泉郷。
一番上流が旧久住町地域の七里田温泉、そして旧直入町地域では上流の長野地区と下流の市街地になっている湯原地区から成る長湯温泉があります。


その内、上流の長野地区は、かつて、岡藩三代藩主中川久清がお茶屋を建てて湯治したり螢見物を楽しんだりしたところ。
彼の肖像画をみるとぎょろ目のアルピニスト殿様です(^^ゞ
ということで、ボクも名君「久清公」にあやかって、長野地区に寄って、ながの湯でのんびり湯治。
無人(入り口にカメラ有)で一般風呂と家族風呂まである親切設計で入湯料200円。
石鹸もあってリーズナブルな地域の温泉場です。

周囲は休日で稲刈りの真っ最中。
ほんまもんの歴史は、どこかから借りてくるような「演出」や「ストーリー」でなく、地元のひとたちの営みの中にこそ生きる、
そんな思いをめぐらせながら、痕跡からひとの営みを読み解くあれこれを、歴史ある湯に浸って考えるひととき。

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2010年9月22日 (水)

北陸遠征、大谷吉継こと、よっしーに会う。

北陸遠征では、途中敦賀にも行ってきました。
柴田勝家の玄蕃尾城を観ようかと思ったのですが、今年は想像以上の残暑。
ちょうど、敦賀市立博物館大谷吉継の展覧会がありましたのでそちらに行くことにしました。
やっぱり、今は織豊・近世初頭の史料展がちょっとしたブームです。
今年、本当ならば中川秀成の展覧会をしてやろうと思っていた身としては、織豊期の武将は抑えておきたいところ。

そして、敦賀市立博物館といえば、以前に京都で文化庁の学芸員研修会に自腹(^^ゞで行った際に、
そこの学芸員さんも研修にいらっしゃっていたご縁があります。
レトロな銀行が博物館になったところでかなり創意工夫をしているとのことを聴いたので、いずれと思っていた次第。
また、近代敦賀港と鉄道の展覧会をするなど、コチラのアンテナにもピピッとくる内容でしたので印象に残っていたわけです。

敦賀城主大谷吉継を中心に、前後の織豊期・近世初頭の敦賀湊を題材として史料がたくさん展示されていました。
コチラの古文書事情には詳しくないので、こんな史料があるのかとか感慨深く拝見。
案外、予想以上に織豊期の史料が残っているのは興味深くありました。
もともと全体的に少ないので断片的にならざるを得ない時代ですが、
敦賀湊に関連する日本海流通の豪商たちの初期の史料から、豊臣吏僚派大名たちはもちろんのこと、
近世初頭の福井藩松平氏・加賀藩前田氏から遠く東北の大名まで絡む流通や経済の様子がわかるというのは驚きでした。
瀬戸内・西国中心の思考に北国流通の感覚を加えることが出来、実に有意義でした。

18日からの展示で、図録は印刷中の様子で予約注文してきました。1,000円なり。
内容はかなり濃いです。大谷吉継から近世初頭まで抑えるのにはいい羅針盤になると思います。
ついでによっしーストラップがあったので仕入れてきました。
地元の方がデザインされたキャラだそうで、三成と盟友の吉継ということで缶バッジもありました。
歴男・歴女はぜひ(^^ゞ。

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2010年9月21日 (火)

北陸遠征、一乗谷朝倉氏遺跡。

三連休は、さんふらわあに車を載せて実家に帰省して用事を済ませてきました。

その内、1日を使って、阪神高速から→第二京阪→京滋バイパス→名神→北陸道を通って越前へ遠征。
お目当ては、一乗谷朝倉氏遺跡。
実は小さいときに親に連れていってもらったらしいのだが、物心ついてからは行ったことのなかった中世考古学の聖地。
前々から実見したいと思っていたもの。

ということで、上段の「湯殿庭園跡」及び背後の丘、そこから派生する土塁と櫓台で囲まれた屋敷空間「朝倉氏館跡」、
及び土塁&石塁で南東側を囲み南側に開口する「中の御殿跡」を丹念に縄張り目線で歩いて回りました。
英林庵も拝んできましたが、その近くにある堀切も観て来ました。
もちろん、上城戸と下城戸も観て来ました。
予想以上に刺激的で
とってもエキサイティングな遺跡でした。居館にしては防禦性も高く、実に興味深く観て回りました。
そして、安波賀にある資料館にも寄って図録や資料を買いあさったのは言うまでもありません(^^ゞ

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ところが、余りにはしゃぎすぎたためか、しっかり落とさないように腰につけるケースでしっかり身に付けていたはずの
買ったばかりのiPhone4が気づかぬ間に中抜け状態で落としてしまう痛恨の極み!!で紛失(ノ_・。)。ケースの構造上、中抜けなんてありえへん!!
気づいたときには既に遅く、事務所の警備の方にもご協力いただき夕暮れに探したのですが、見当たらずじまい。。。まるで神隠しにあったかの気分。
たぶん、北門辺りで落としたようです。拾った方はぜひともぜひとも事務所までお届けください。切に切におねがいします。

(追記)福井南署に届け出があり、無事に10/25に引き取ることが出来ました。福井の皆さんありがとうございました!

2010年9月14日 (火)

西国から、豊臣の城を考える試み。

歴史群像シリーズで『決定版、豊臣の城』というのがあります。
漆黒の要塞なんですかどうかはわかりませんが、豊後岡城と中川氏について多角的に調査するに連れて、
そこからさらに手を広げて、豊臣政権について関連する勢力と城郭跡からいろいろと読み取れないかと思っています。

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竹田に来て1番のメリットは、最前線の城郭研究の視野を以て中川氏の城郭を調べることが出来たことでしょう。
江戸時代に入っても、池田氏と交友が深く、養子のもらい元も浅野氏に井伊氏に藤堂氏とそうそうたる面々。
文芸の徒ではなく清秀以来の武威で蹴散らすような武門の家という印象が強くあります。
その岡城は、近世城郭の中に織豊系城郭の古い様相をパッケージするように残す興味深い事例であることは既に発表済。
文献史料では、神戸大学の中川家文書が豊臣政権期を研究する上では全国的にも貴重な史料であるのと同じく、
摂津の国衆連合体を内包する中川氏の城郭は、統一政権に参画した織豊取立大名の特色がわかる貴重な事例であることがわかりました。
いずれ、豊後岡城と中川氏から織豊取立大名と豊臣政権論まで斬り込むことも可能です。

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既に、九州の織豊系城郭については、K氏が立花山城に続いて文禄・慶長期の豊臣大名の居城から成果を出されるとのこと。
なので、こちらは豊後岡城と中川氏の調査研究から得られた豊臣系大名としての特徴や知見を手がかりに、
さらに他の地域へ足を運び、豊臣政権に近い大名の事例を再検証しようと思っています。
もちろん、九州の国衆論からも検証することは見込めますが、視野を広げるためにも本城を攻めてみたいというのも本音。

ひとつは、岡山県における宇喜多氏の城郭。もちろん池田氏など後世の改修が多いのでそれを如何に除いて押えるかが鍵。
そして、豊臣期毛利氏の城郭について、どれだけの手を加えているのかいないのか等の確認。この辺はぜひともやりたい。
さらに、秀吉領形成期の但馬から播磨界隈の城郭群。

もうひとつは、小谷城から賎ヶ嶽陣城群にみられる近江北部と、秀吉が重視した若狭・越前南部の城郭群。
これは、豊臣政権成立期を考えると無視できない。
その北側には、金沢城、七尾城を含む北陸の前田氏関係の城郭群まで視野に入れるとかなり興味深い。
おそらく、中川氏のような勢力の巨大版とも言える織豊系大名の好例。

小牧・長久手から関ヶ原戦、初期藩体制まで視野に入れた岐阜から愛知、三重などの城郭群。
もちろん豊臣政権のお膝元、紀伊・摂河泉界隈も無視できない。
また、東側に目を向ければ、東海から甲斐・関東の豊臣系大名の城郭の様相。
さらに、越後の上杉氏→堀氏と、会津界隈の蒲生氏の本城・支城群。

どこからでも足を運ぶことで、現地の城郭跡から見通しを立てて、豊臣政権の一端を押えてみたい。
いずれも、史料編纂所で閲覧申請しなくても調べられる「一級史料」(^^ゞ
現実的には西からでしょうが、関西周辺部の豊臣政権形成期の関連城郭を可能な限り再検証し、
新たな視点を提供する試みができないものかと思案するところです。

これまでの城郭研究の流れと先行研究をおさらいしながら蓄えに勤しむ秋の陣です。

2010年9月11日 (土)

大分市には、府内城がある。

大分市の真ん中には府内城がある。そもそもここは府内。大分という呼び名は郡名からきたものと思われ。
現在は城址公園になっており、内部は旧県庁建設時に堀が埋められ(現在は大分文化会館)ていますが、主郭部の残りは案外良い。
意外にチカッパは行かないのが常でありますが、過日に時間があったので炎天下ぐるっと回りました。
大手門や櫓のほとんどが戦災で焼けてしまったため、後に復興されたなんちゃって櫓が外側の石垣塁線にありますが、。
その中で、北西側(天守台の北側)の人質櫓と、文化会館の隅っこにひっそり建つ宗門櫓の二つは当時の「現存建物」として遺っており貴重です。
この外、天守台跡と北二重櫓跡の石垣は角の取れた丸石を使った野面積みで横矢もバシッと効かせており、観るものを圧倒させます。
残念なことに、天守台や北二重櫓跡周辺は庭園整備されており樹木があって目立たないのが難点。
でもこの庭園寄贈な様子。うーむ、悩ましい。
また、現在は埋められたものの内側の堀の縁辺部も北二重櫓下に凹状にあり、山里へ(現在廊下橋復元あり)の虎口に桝形状空間を仕切る石塁もみられます。
大手と合わせて桝形門の雰囲気を伝えます。

それなのに、だいたい府内城について印象を聴いてみると、「文化会館があるものね」で片づけられる場合が多いのですが、
実際歩いて写真をバシバシ撮ると、何の何の城跡として案外残り具合が良いことを再認識させられました。
正保城絵図などから、馬出しを連続させて城域を構成する典型的な平城の縄張りを持つことがわかる東九州の拠点、府内城。
こんないい史跡が真ん中にあるじゃないか、って歩きながら思ったものです。
現存建物が城内にあることを思えば、大分県下では臼杵城と肩を並べる水準じゃないの、と言いたい(^^ゞ

一時期、図録が作成されたりCGがつくられたりとしましたが、縄張りや絵図を用いた解説が現地で目に付かなかったのが惜しいところ。
都市部でここまでコンパクトに残りの良い平城って案外ないものです。せっかくの都市の核となる史跡だけに惜しい。
ちなみに、某大分県庁の新しい方の展望フロアからは、ばっちり縄張りを見る事が出来ます。
某研修で展望フロアに行ったら、「おお!府内城がよくわかるなあ」と思ったものですが、その時は残念ながら写真に撮れずじまい。
もしフロアに行かれたら、馬出しタイプの典型的な府内城をぜひごらん下さい。

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2010年9月10日 (金)

落門の瀧を眺める田能村竹田像。

豊後竹田駅の後ろにある落門の瀧。城原井路の悪水抜きのために崖から流下させた「瀧」です。
農業用水なので四六時中流れているわけではないけど、瀧を見ながらゆっくり読書などはまさに文人の気分です。

過日、落門の瀧をみることが出来る駅前の一角に、田能村竹田の銅像が設置されました。
オリジナルは朝倉文夫の兄、渡辺長男の彫刻《田能村竹田像》です。
オリジナルから型をとっての複製ですので申し分なし。

ちなみに駅前には朝倉文夫の彫刻《時の流れ》もあり、兄弟そろい踏みともなりました(^^ゞ
列車の待ちあいなどにぜひとも見比べていただきたいものです。
なんの変哲もない駅前のロータリーですが、
歴史的モニュメント彫刻を多数制作した正当派の彫刻家として活躍した兄の特徴が見て取れる作品と、
自然主義的写実主義の彫刻を多数制作し、兄を越えて時の美術会の重鎮となった弟の特徴が見て取れる作品が
同じ空間に並ぶ、ここだけで近代彫刻史の一コマがみてわかる企画展覧会の展示のようです(^^ゞ

さて、銅像からすると前方にある落門の瀧は、日田の廣瀬淡窓がこの瀧のことを「断崖落泉大夫門」と詠んだことから名付けられたとのことです。
日田をたびたび訪れ、子の太一(如仙)や弟子の帆足杏雨を入塾させるなど、
田能村竹田は淡窓とも交流が深い博学多彩な文人でした。
淡窓が竹田に来たことはないようですけど、淡窓が詠んだ景観を眺める竹田さんという組み合わせは、
落門の瀧を眺める文人的思惟を追体感するロケーションとも言えるのではないでしょうか。
ちなみに、田能村竹田が落門の瀧を観ていた記録があったかあいにく失念仕り覚えてないのですけど、
年代的には多分観てるはずとは思うので、ロケーション的にはいい。。。はずです(^^ゞ

そんな、日本の近代彫刻史と文人芸術を味わえる「1粒で2度オイシイ」立地の、駅前の竹田さんの銅像をぜひ観に来て下さい。

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2010年9月 7日 (火)

「変革のとき 桃山展」@名古屋市博物館

久々、学芸ネタ(^^ゞ。
名古屋市博物館の某方から『変革のとき 桃山展』準備中とのことで、5月に伏見城攻めした際にご案内いただきました。
なんでも豪華な名古屋なところだけに、内容は御殿を軸に盛りだくさんとのこと。楽しみですね。
「変革のとき 桃山展」名古屋市博物館

桃山時代(寛永期まで含まれるでしょう)と言えば、金銀バブルな日本列島に花開いた豪華絢爛かつ豪胆な「黄金の日々」
思えば、遠く欧州でも南米の銀が流入して豪快なバロック芸術が花開いたわけで、それと期を同じくして、
アジアなニッポンでも金銀バブルな豪快な芸術文化が花開いたわけです。
そんな桃山文化をやるならは、バブルの当事者たる統一政権を樹立した信長・秀吉・家康ゆかりの地で、
かつ、今日も日本有数の、豪華で派手好きな名古屋はぴったりかもしれません(^^ゞ

うーむ、同じ学芸稼業なら、こういう一級品を扱えるハコで勤めて一級品を借りて取り扱ってみたかったなあ。と思いつつ、
名古屋のみのオリジナル企画なのと、「桃山みたいなあ」ということと、ついでに岐阜城とか行こうかということで(^^ゞ、
土日つかって、10月16日〜17日にQ大の某先生と濃尾たぬき旅する予定してます。
ガラスの向こうから現物をじーっくり堪能するつもり(^人^)。
また、某S先生がブイブイ書いているとのことらしい図録も楽しみです。

日程見て、16日昼に攻めようか、客足を避けて17日の朝一番で攻めようか思案中なう。
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2010年9月 6日 (月)

秋の陣の仕込みを兼ねて『新修福岡市史』買いました。

某方面から3方向経由でメールや案内をいただいたので、
敬意を表して、市博は遠いので博多駅に近いリバレインの勝手知ったるアートリエまで遠征して、
さっそく買いました、限定400部らしい、
新修福岡市史の資料編「中世1 市内所在文書」
写真後ろの方で5,000円なり。(^^ゞ

特に、翻刻されてなかった市博や九大等所蔵の戦国・織豊期の古文書が多数掲載されており、
文献史学の人ではないのでなかなか手が出せなかったことを思えば、ホントありがたい「情報公開」です。
そして、これまであちこちの「史料紹介」で出てきたものがひとまとめになったのが助かります。
中世・戦国期の博多方面や周辺の国衆を重点的に研究されている方は重宝すると思います。
『福岡県の城郭』と合わせてお求めになると、福岡平野周辺の戦国史研究に役立つと思います、たぶん。

ボクも秋からフィールド復帰するところでしたので、いいタイミングでゲットできました。
これまで福岡平野を中心にジャンジャン調査した図面をより精査して、
筑前における大友氏領国の変容と台頭する国衆を城館史料学から読み解いていきますです、拝

もうひとつの百万都市も『新修北九州市史』を立ち上げて、豊筑方面をひとまとめお願いしたいところはあります(._.)オジギ。
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2010年9月 5日 (日)

カルロスさんの邸宅。

過日、エグザイルのTシャツを着こなすカルロスさん家に行ってきましたです、なう。
フリーケースにお城の図面を入れて持参すべきだったなあ、と少し後悔(^^ゞ

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Foxkeh! フォクすけ!


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