« 城郭談話会で準備報告しました。 | メイン | 26日は福史連大会で報告。 »

2010年6月27日 (日)

『福岡県の城郭と年代観』を話しました。

さて、26日は福岡県立図書館にて開催の『第44回福岡県地方史研究協議大会』(主催:福岡県教育委員会)に報告者として参加してきました。
福岡県では、自分の報告する場として福岡地方史研究会に属しています。
ちょうど北部九州中・近世城郭談話会を中心として『福岡県の城郭』が刊行されたので、福岡県の中世山城というテーマで依頼を受けました。

ちょうど、2008年下半期からハコ芸の展開も清算して北部九州の戦国期城郭について博論に取り組んだものの、足りないところも多く見つかったのも事実。
2009年下半期から、織豊系城郭・近世城郭から九州以外の城郭跡も積極的に回って「
学び直し」をテーマにライフワークとしての城館史料学の構築を図ってきました。
そして、今年の4月に野に放たれたのを契機に、さらにドンっと腰を据えて城郭研究の仕事をこなすようになった次第。
現在、フリーな時間で作業しているお仕事はすべからく自分の体系化へ向けての助走となっています。
そうした流れの中で夏のセミナーへ向けて、準備を進めていたところに、福史連の報告の依頼がやってきました。
そこで、2週間前の大阪・高槻での城郭談話会報告と連動させて「福岡県の城郭と年代観」というテーマで報告することにしました。

今回の報告は、まず、縄張り研究は「城郭跡を最終段階の遺構として捉える姿勢から研究をすることに意義がある」ことを前提として、
全体では元和一国一城令を下限(17世紀半ば頃まで幅を見ますが)とした上で、北部九州においては1586-87年に戦国期城郭から織豊系城郭へガラッと変化したことに着目して、
北部九州の戦国期城郭からみた城郭遺構の年代観を提示しました。

具体的には、1585年に築かれ87年に落城した益富城を基準として、最終段階の高鳥居城、勝尾城、立花山城の縄張 り技術から、
北部九州の戦国期城郭が天正後期に急速に発達したこと。ピークが85-87年の激化した地域紛争と九州に介入してきた豊臣政権と秋月氏の対決にあると考えることを柱としています。
そこから遡ることとして、天正中期
に落城したとみられる柑子嶽城とそれに準拠した鷲ヶ嶽城の縄張りを手がかりに、
大友氏の耳川合戦直後の紛争激化を契機に各地で籠城体制が敷かれたことが縄張り技術の急速な発達に道を開いたのではないか、と位置付けました。
それから、さらに遡り、永禄期の立花山城攻城戦では文献史料でたくさんの陣所が築かれたとあるものの、現地は削平地は連なる程度で天正後期にみられるような明確な遺構が残していないことを手がかりに、
北部九州では少なくとも天正期に様々なパーツが出揃った上で、中期以降様々に 組み合わせた複雑な在地系の縄張り技術が発達したものと位置付けてみました。

この年代観自体は、これまでのボクの研究成果や北部九州での 研究成果を整理し直したものに過ぎません。
でも、この見通しを「本土」の年代観に照らし返したとき、果たして既存の文献史料や考古資料から述べら れているような城郭跡の年代観は大丈夫なのでしょうか?と提起できると思います。
「本土(もちろん関東も)」では文献史料や考古資料から15世紀後半から16世紀前半に現状の遺構の年代観を誘導させる議論がありますが、
それらの城郭跡の大半は、こちらの視点では早くても永禄末期、たいていは天正期に急速に発達したも のと考えられるのではないかと予想しています。
もちろん、永禄末期以前でも山上に立て籠り、曲輪や切岸、堀切や竪堀・横堀が単発的に使用された可能性はあります。
それでも、それが「縄張り」として意識され、試行錯誤やある程度の技術的文化圏が生み出されていく時代は、
やはり天正期(早くて永禄末期)以降と考えられないかと思っています。

こういった仮説の詳細な検討は今後の課題とはなりますが、少なくとも次のようなことは言えると思います。
これまで、北部九州の縄張り技術の年代観がズレることは、「九州は縄張り技術の展開が遅い」とか「本州から伝播したため」と評価されてきました。
しかし隣接する毛利氏など中国地方の大名権力の縄張り技術も思ったよりも共通した特徴を持ち合わせているわけでもない。
それなら、九州から考えると、既存の本州の年代観の方が時代を古くさせすぎていないか?と逆に切り返すことも可能になるだろう。
地域での地道な城郭 跡の縄張り図作成から全貌がみえてくることで、逆に全国史の研究での通説に問題提起ができるのではないか、
と、以上のようなことを述べてきまし た。この辺は地域史研究をされる方には随分と喜んでいただきました。

もちろん、これは講演会やコラムで歴男・歴女や聴衆を喜ばせる「歴史ゲイシャ」なリップサービスではなく、まじめな研究報告。
妙な地域「顕彰」に陥らず、目の前の地域を捉える理解に補助線を設けることこそ地域史研究の存在意義と考える所以からのものです。

今回の報告も踏まえて、これから本土ではあまり関心のなかった北部九州の研究事例をまとめて夏のセミナーで報告を仕上げます。
「現存する遺構を最終段階のものとして考え」、「現存する遺構から検証する姿勢」を採ることこそ城館史料学の研究領域たる所以。という ことをもう一度確認することが今回のねらいと位置付けています。

どんな反論や意見が出てくるのか、楽しみです(^^ゞ。

Rimg2836

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blogcoara.jp/t/trackback/143624/24588657

『福岡県の城郭と年代観』を話しました。を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

Foxkeh! フォクすけ!


  • Firefox ブラウザ無料ダウンロード
Powered by Six Apart