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2010年6月30日 (水)

美作の山城。

城跡を歩く方が楽しいと思いますヨ、とつぶやきつつ、
世界杯を横目に複数の仕事をこなしながら進んできた6月も終わり。

この3ヶ月、本当に濃密に城郭のことばかり考えるよう集中している。
もちろんケンチクな人なので、3月まで準備していたアートなこと等もしたくてウズウズするのですけど、
渋さのライブに行くぐらいしか状況が許さない(^^)。
ということですので、現在は城館史料学に注力することが、次のステップの足がかりとしては合理的なものですので、ご理解の程を(^^ゞ

と言うところで、6月は大阪と福岡での2つの報告準備を介して夏のセミナーの準備とパネラーのイメージトレーニング?に励んでいる間に、
『美作の山城』の解説を書いています。美作東半部を中心に625城。その内100城くらいを書いています。
大変ですねぇ。でも楽しい。陣城くさいのがチラホラみつける。マッピングしながらの作業。間に合うかなあ(..ゞアセ
福岡県の城郭も面白いけど、岡山県の城郭もバリエーションがあってとても面白い。

それに加えて、別に依頼をいただいた原稿も仕上げていきます。
9月下旬から別府大学の集中講義をする準備もそろそろエンジンかけないと(..ゞアセ。
イベント事に絡まれずにじっくりと勉強できる機会を得たタイミングで、寓居の身にオファーをいただくのは本当にうれしいこと。
しっかりと次のステップに繋げられるように、7月も引き続き、頑張りますヨ。

写真は神楽尾城です。
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2010年6月28日 (月)

26日は福史連大会で報告。

さて、26日の福史連大会のこと。
市外では「学位を持つ研究者」として評価いただき、福岡県教委からのお招きで久々に福岡県立図書館へ出張です(・ε・) 。
第44回福史連大会にて「福岡県の城郭と年代観」と題して中村修身さんに続いて80分程度報告してきました。
例年、80名程度の参加のところ、雨にも関わらず120〜150名近い参加者に恵まれたとのこと。各方面にご挨拶をかねた報告となりました。

お誘いいただいた福岡地方史研究会の石瀧さんをはじめ、福岡県立図書館の皆さんには、本当にお世話になりました。ありがとうございました!
秋から福岡県の城郭について調査を本格的に再開しますので、その節はお世話になると思います。
また中村さんをはじめ、北部九州中・近世城郭談話会の皆さんにも、会費を納めましたことですし、
これから再調査で乗り込むのでその節はとごあいさつ(^^ゞ

会場では、福史連所属の各地の研究会の冊子が出ておりました。その中で、西日本文化協会から福岡県史の県史だよりが合冊になっていたので注文してきました。
また、福岡県史の棚卸し50%offもありました。こちらは手が出せず。。。(´・ω・`)。
それから、Oさんからはトピック展示『祈りの山宝満山』の成果を拝受しました。ありがたいことです。
うききのFさんも来ていただき多謝です。8月の津山市よろしくおねがいします。
そして、近年精力的に縄張り図を書かれているFさんにもお初にお会いできたのもありがたいこと。
資料館の人と思いきや現在は同じ業界とは思わなかったでしょう(^^ゞ。機会があればご案内下さい。

と、以上私信でした(._.)オジギ

ということで、これまで捕まり続けてきたハコ芸から解放され4年ぶりに北部九州のフィールドに復帰です。
秋からいよいよ再調査。帰ってきましたのでどうぞよろしく。

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2010年6月27日 (日)

『福岡県の城郭と年代観』を話しました。

さて、26日は福岡県立図書館にて開催の『第44回福岡県地方史研究協議大会』(主催:福岡県教育委員会)に報告者として参加してきました。
福岡県では、自分の報告する場として福岡地方史研究会に属しています。
ちょうど北部九州中・近世城郭談話会を中心として『福岡県の城郭』が刊行されたので、福岡県の中世山城というテーマで依頼を受けました。

ちょうど、2008年下半期からハコ芸の展開も清算して北部九州の戦国期城郭について博論に取り組んだものの、足りないところも多く見つかったのも事実。
2009年下半期から、織豊系城郭・近世城郭から九州以外の城郭跡も積極的に回って「
学び直し」をテーマにライフワークとしての城館史料学の構築を図ってきました。
そして、今年の4月に野に放たれたのを契機に、さらにドンっと腰を据えて城郭研究の仕事をこなすようになった次第。
現在、フリーな時間で作業しているお仕事はすべからく自分の体系化へ向けての助走となっています。
そうした流れの中で夏のセミナーへ向けて、準備を進めていたところに、福史連の報告の依頼がやってきました。
そこで、2週間前の大阪・高槻での城郭談話会報告と連動させて「福岡県の城郭と年代観」というテーマで報告することにしました。

今回の報告は、まず、縄張り研究は「城郭跡を最終段階の遺構として捉える姿勢から研究をすることに意義がある」ことを前提として、
全体では元和一国一城令を下限(17世紀半ば頃まで幅を見ますが)とした上で、北部九州においては1586-87年に戦国期城郭から織豊系城郭へガラッと変化したことに着目して、
北部九州の戦国期城郭からみた城郭遺構の年代観を提示しました。

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2010年6月17日 (木)

城郭談話会で準備報告しました。

12日午後は、大坂城を後に梅田経由で高槻へ。
関西で活発な活動をする城郭談話会。会員によるフラットな運営で多くの研究成果をあげています。
以前は森之宮で定例会をしていましたが、近年は高槻市立総合市民交流センターで第2土曜日に定例会をしています。
何度か帰省の際に顔を出していたのですが、今回は夏のセミナー@姫路市を城郭談話会が引き受けることと、
ボクが西日本から1本報告すると言うことで事前準備報告をすることになりました(日本史研究会みたいでしょ(^^ゞ)

関西の芸風?は、シンポやセミナーはしっかりシナリオをこしらえて関係者で事前の段取りを詰めるよりも、
おおよその「目的」を共有した中で、それぞれが当日にフリートークを仕掛けることでライブ感をつくる印象が強くあります。
今回は皆がしゃべりたいということでボクが壇上に挙げられることになったそうなので、
それでは、フロアが仕掛けたろ!と思うような「呼び水」的な報告をしたらよいだろう、と準備をしました。

今回のセミナーのテーマは「横矢掛りから考える」。ミソは、横矢掛り考える、ではなく横矢掛りから考える。ということだそうです。
それなら、西日本をフィールドとする者が、自分の城郭研究の立ち位置を表明した上で、西日本から近年話題?の年代観について報告したらいいと思った次第。
戦国・近世期の九州は、1587年が転換点のひとつとなっています。
それ以前の在地系縄張り技術は防塁型ラインを多用し虎口も発達せず横矢掛りがまったくない。
一方、1587年以降に波及した織豊系縄張り技術による立花山城や豊前黒田領の陣城・支城になって、ようやく横矢掛りがみられるという案配。
これほどガラッと変わる地域は九州くらいのものでしょう。
そして、九州の在地系縄張り技術は1580年代に急速に発達するように、他の地域より10~15年遅れた様相を見せます。
この状況は、全国の動向に比べて、九州が「遅れていた」地域というだけなのかもしれませんが、ホントにそうかな?というのが今回の趣旨。

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2010年6月16日 (水)

上坂&大坂城に登城。

金曜日は、仕事を終えてから車に荷物を載せて出発。大分港からさんふらわあで上坂。
瀬戸内海を移動中は、個室をとって船内で福史連の原稿仕上げを執筆しながら、世界杯を堪能(^^ゞ
今回は城郭談話会でセミナー準備報告をするために、土・日曜日は実家に帰省。
土曜日の夕方から、はじめての城郭談話会での報告をしてきました。

朝に六甲アイランドに到着してから湾岸線で実家へ。荷物を解いてから南海電車と地下鉄で大阪へ。
城郭談話会で高槻に行く前に、大坂城へ訪問。
谷町線の谷町四丁目駅からだと大阪歴史博物館経由で大手口に行けるのだけれども、鶴見緑地線の大阪ビジネスパーク駅経由で北から攻めmした。
ビジネスパークから城内にはいり青屋口から入城。ここは前に張り出した「桝形」門。
そして、曲輪と化した馬出し空間を通って橋を渡り山里丸から登って「天守閣」へ。
北からのアプローチは、大坂城が淀川と旧大和川(寝屋川)の合流点に張り出した上町台地の先端を掘り切って築城されたことが実感できます。
徳川時代の造成を踏まえても、石垣高からかなりの比高差があることがわかります。
大阪のど真ん中は上町台地があって案外アップダウンが激しい。その先端部はかなり切り立ってるんだなと再確認。
そうした地形を総石垣で近世城郭に仕立てた豊臣秀吉の畿内政権としてのスタート時期のエネルギーのかけ方と、
それを埋めて主郭部の面積を広げた最新モードに改修した徳川政権(というか西国大名)のエネルギーを直視してほしいもの。

大阪城天守閣は、
展望台まで上がってみると、外堀で囲まれた曲輪配置がみれてなかなかよい案配でした。
一見、観光施設ですが、中はれっきとした歴史博物館。
豊臣政権を考える上では基礎となる史料を収集し、基本となる図録もたくさん出しています。1,500円前後とリーズナブル。
豊臣政権をきちんと抑えたいと思う今日この頃ですので、この日は過去の図録「秀吉家臣団」「秀吉お伽衆」「五大老」を3冊購入しました。
以前は、城内の隣接した位置に市立の大阪歴史博物館がありましたが、現在はBKと一緒になり難波宮&近世テイストの歴史博物館になっています。
対比を考えても、豊臣政権・桃山時代の収集史料が充実した大阪城天守閣に、城郭史・考古学・建築史方面からの大坂城の研究成果がより加味されると面白いなあと思いながら歩きました。
大坂城ガイドブックとか編集すればガイドツアーとも連携できますし。外国観光客も大坂城そのものを柱にしていろんな分野から紹介したら、より要点を伝えやすいかもとしばし妄想。
で。近年のボクは、豊臣・徳川初期を中心にしっかり考えたい(だから伏見城もはずせない)と思うところがあるので、
涼しくなったら、あらためて丸一日大坂城巡りで観て写真撮影兼ねて観て回ろうと再訪を思案。

この日は、図録を無事入手してから報告会の準備のため大手口から下城。
谷町四丁目前の大阪歴史博物館は近代建築の展覧会があったけど、城郭談話会の報告があるのでやむ得ずスルーして梅田経由で高槻へ移動しました。
この日は暑かったので城内巡りは延期。次はしっかり歩いてバンバン写真撮りましょう(^^ゞ。

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2010年6月14日 (月)

瀬戸内航路ゼヨ。

古来より、上坂するときは「海路」に決まってるゼヨ。
ということで、金曜の夜に「太陽丸?」で瀬戸内海を上坂。
船内にてしばし原稿を仕上げ、熟考。
大坂城に寄ってから淀川右岸の高槻に討入りして喧々諤々。日曜の夜に再び瀬戸内海を下り候。
これまた船内にて原稿をまとめ、しばし熟考。

昨今、龍馬気取りが多いけど、亀山社中や船中八策のようにチャンと船を利用してから語らんと罰があたるゼヨ。
って、別にどこかの回し者ではないけれど(^^ゞ
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2010年6月11日 (金)

西から読み解く年代観。

まもなくワールドカップですが、こちらはただいま報告の仕上げと美作の城館と論考で追い込み中(^^ゞ
その合間をぬって、先々週(5月最終週末)は、豊臣・徳川移行期を伝える城郭遺構、伏見城を考える見学検討会に参加。
先週(6月第1週末)は、九重で、建築学会九州支部建築意匠部会での恒例の合宿に顔を出し、藤井恵介氏の濃縮還元な日本建築史レクチャを拝聴。
と実に濃密な日々を送っております。

藤井先生の日本建築史は久々に「日本建築史」のレクチャーを聴いて刺激的でした。太田博太郎『日本建築史序説』についても議論ありの内容で収穫あり。
加えて、帰宅してから古書サイトを探索してみるとなかなか安価で手に入らない『文化財講座日本の建築』全5巻が安価で売っていたので
ようやく仕入れることが出来ると言う奇遇に恵まれたのも収穫。
こちらも、しっかり「建築史料学」と言えるようなものを指向したいと思う次第。

一方、城館史料学の方では夏のセミナーの準備を進めています。
今回は、城郭の年代観について、西南日本(中国〜九州)界隈の城郭跡の事例をもとに城館史料学の方法論を使って組み立ててみようといろいろ調べています。
昨今、東日本から城郭の年代観を問う議論が見かけます。
文献史学の成果を遺構や遺物評価と重ねることで、従来の縄張り研究などの年代観の甘さをつく内容が多くあります。
確かに、縄張り研究者の中には、近年、遺構の年代観について一貫した姿勢がみられない論点を出される方が居られるとしても、
そんな縄張り研究者の論調に対して、問題提起をされている方の他の尺度からの年代観やそれに乗った文献史学からの議論も検証されてしかるべきかと。

そうした学際的な問題関心から、西日本から目線でどういう視点が提示できるのか?を考えてみようと思った次第。

既に西日本の研究成果では、城郭遺構の検証から陶磁器・石垣・瓦といった指標の見直し作業が進められています。
例えば、古唐津の陶磁器編年については縄張り研究による岸嶽城の成果から1580年代説は否定され1600年代へと見直しを求める議論が提出されています。
木島孝之「唐津焼創始時期-1580年代説-を問う〜岸嶽城の縄張り構造の解明を通して〜」
古唐津の初期の編年がズレることは、これまでの古唐津編年に拠ってきた年代観の見直しを迫るものです。
このように、他の編年・年代観についても城郭遺構と絡む場合などから再検証する機会があってよいと思います。
そうした流れに学びながら、城館史料学の方法論をもとに西国から場を求めて、畿内、東海・関東へと進展させたら。と思っています。

西日本は、織豊系縄張り技術と在地系縄張り技術が異なった系譜で発達した状態でぶつかり、前者が後者を席巻するという図式。
畿内・東海・関東とはそういった点で違いがはっきりわかる地域性を持ちます。
それ故に、これまでの議論と異なる角度から読み直しができるのではないだろうかと(^^ゞ。

この魅力あるチャレンジのためなら、これまでの活動を整理し城郭研究に専念する時間を手に入れた価値があったと言うものです。

2010年6月 3日 (木)

6月は世界杯モードです。

6月はデジタルテレビとデジタルアンテナをセッティングして準備万端(・ω・)ノ
ということで、南アに行って、原稿を持ち込んでテレビと共に過ごします。

チャオ!

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2010年6月 2日 (水)

『小西行長—「抹殺」されたキリシタン大名の実像—』

先日届いた八木書店の案内をみると八代市博の鳥津さんが労作を刊行されるとの案内が目に留まりました。
『小西行長—「抹殺」されたキリシタン大名の実像—』 です。
コニシタンのハートをわしづかみした「小西行長展」を企画した鳥津さんが八代市博のハコ芸ネットワークを活かして作成された図録を
さらに進化させた労作と拝察します。徹底した史料調査と検証を加えてアカデミックな一冊にまとめられたようです。
5,040円なり。まさにハコ芸の真骨頂、これくらい取り組まないといけないな、と感じ入ります。

以前に八代市博の「小西行長展」の史料調査で来られたときに、ボクが天正16年9月25日の年次で
小西行長の花押が入った鳥飼権右衛門宛「小西行長知行宛行状」の原文書を紹介させていただいたご縁があります。
九州の豊臣大名時代に発給した行長の原文書で年号がわかるものとしては最も古い史料です(^^ゞ。
花押の年代比定でも指標になる史料で大変気に入っていただき、いろいろな場面で使っていただきました(^^ゞ
以前にボクが収蔵庫に埋もれていたのをたまたま見つけだした時に、コチラでは使いものにならないけれども、全国的には必ず重要な史料となると目をつけていたもの。
コチラで埋もれさせることなく、うまく表に出すことができた史料です。
ハコ芸で全国のことを常に意識しながらローカルで活動してきた10年間の中で、数少ない、仕事を介したアカデミックなつながりを活かすことができた機会でした(^^ゞ

たぶん掲載されていると思いますので、今のボクはもう二度と扱うことがないだろう(^^ゞ史料が、こういう形で活かされてホント楽しみです。
小西行長研究では絶対にはずせない貴重な成果です、ぜひ。

Foxkeh! フォクすけ!


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