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2010年4月29日 (木)

休日、好天。

この4月は週末はずっと城跡三昧でした。津山市教委の地域学プログラム「美作学講座」のコーディネートのお手伝いと講師を務めさせていただきました。
城跡の縄張り調査も再開し、天候もよく快調に進んでいます。

去る筋から今年はわたしに転機が訪れると言われてたものでしたが、ハコ芸からエコ芸への転身を考えれば、まさにこれが転機でした。
これまで自分の持てるものを、足元の文化的資産への気づきと内外の歴史と文化の橋渡し役として尽力してきたつもりでしたが、
去んぬる筋からの史跡に関する文献調査の依頼を受入れたが運の尽き。。。
いつの間にやらお決まりの面々で組織化されたO藩史研究会(O県地方史の某論文参照アレ)が別館を活動の場にするようになり、
10年前の前任者と全く同じ部署に外されるまで
、精神的な面も含めて随分と悩まされたものです、と「これまでの経緯」。
幸い、これまでの仕事で思う存分経験知を積んだ後でもあり、こんな他に類例をみないようなやり口をする相手とは全うな事は何もできないと見切りをつけて、
学位取得による研究環境の整備とやり残しのアートプログラムなどの助成事業の実践などひと通りの清算作業を進めてきました。
ですので、ひと区切りつけた後では「正直なところ、どうでもいいよね」
的な気分であちらさんがどれだけのスゴイ成果を出すのか興味津々なところです。
ボクなんかのつまらない仕事なんて霞むくらいのスゴイ成果を出して下さるんでしょう。何年後か知りませんが(^^ゞ。
そんなことより、近年のハコ芸受難を思うなら「史跡からみる地域学」活動等を充実させエコ芸の幅を広げることにこそ使命と感じる日々を過ごしています。
当面は城館史料学メインで、まだ見ぬ「人間の家」を目指し今一度じっくりこれからの足腰を鍛える好機と思っています。
それに合わせるかのように、4月から休日は天候も良く大型連休もすっかり晴れ続きの様子。
天からもガンバレ!と応援していただいているようで実にうれしくあります。

ところで。4月から配属された先は地籍図・台帳等を扱い現地調査する稼業なのですが、実は城跡調査には古い地籍図や地名の確認は欠かせないのは案外知られていません。
そもそも私が修論の時は鞆の浦の現地調査で福山の法務局で大金はたいて古い地籍図をたくさん閲覧してコピーしたものです。
よって、こうした取扱いや法務局通いもまったく無縁なことではない(^^ゞ。もちろん、データが必要なときは学術調査で申請します。そのための身分保障が「学位」の学位たる所以。
今回の出会いは、もしや『城館調査ハンドブック』を読まれてたかもしれない、と思うくらいの奇遇だったわけです。

休日はおおむね晴れたおかげで、しっかり調査日程もこなしています。
ようやく腰を据えて縄張り調査も行うことができ、着々と図面を作成しています。
と、業務連絡。

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2010年4月28日 (水)

連休は。。。

せっかくいただいたゴールデンウィーク。ゆっくりと津山に帰省してヨメさんとゴロゴロしています。
その最中に、先約済だった兵庫県播磨町にある兵庫県立考古博物館に行ってきます。
帰りは土山から姫新線経由で津山に戻る予定。

『戦国時代の守護、山名氏の城と戦い』やっています。
なかなかレアなのと土山まで行けそうなので予定を組んでいました。

別府鉄道の廃線跡(たぶん)を歩いて行ってきます。

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◎業務連絡。
すんません、出勤ローテを見越してGW前半を押えてしまってました>各位。
連休明けからまじめにノルマに参加します(^_^;;;

2010年4月25日 (日)

久々に本格的に縄張り調査してます。

この4月から本格的に城郭跡調査を再開しています。。
4月にハコ芸から離れたことは、あらためて自分がやるべき領域は城館史料学であると確信するのにはちょうどよいタイミングでした。
新天地でガンバレという声?もありましたがナンセンス。
これまでのやり方をより集中して推し進める、まさに
機は熟せり、の気分です。
もちろんアートやその他ハコ芸で実験的にやってきたことなど、やりたいことはたくさんありますが、若い頃とは違い、時間は有限。
ならば、もっとも経験知を積み、もっとも方法論を熟知している城館史料学の立ち位置からさまざなま分野に押し出すのはもっとも現実的な対応と言えます。
ようやく、城館史料学に集中できるチャンスが来たと確信しているところです。

そうした思いを胸に調査活動を組み立てる上では、土日を使うことが計算できるようになったのは大きい。
休みを配分して、本格的にまとまって調査が進められるようになりました。

ハコの中にいる時の後半は、ハコ芸や店番に手を取られたりで日程調整がうまくいかず、満足した調査は見込めませんでした。
常に内外の情勢を見据えてハコの維持管理まで意識して活動するのは至難の業。
おかげで業務に関連しそうな現地調査でも参加を断念したものはいくつもあります。

ハコ芸との二足のわらじから解放されたので、しばらくは何の束縛もなく思う存分城館史料学に没頭できるようになりました。
何と、2007年春以来のまとまった調査になっています。シンジラレナイ怠慢ぶりでした。
これから、「お城屋さん」の本領発揮
福岡方面の積み残し等やるべき調査は多々あります。
天気の良い春の休日は城跡調査。屋外で生の資料の上で調査するのは実に気分が良く、健康的です。
机の上では味わえない知のダイナミズムを堪能しています。
現在は、実に面白く興味深い遺構を確認し調査しています。乞うご期待。
暑くなってブッシュが厳しくなる梅雨前まで続きます。

平日は勤務励行。好天祈願で休みが晴れなら即出陣。5月まで時間はあまりないので雨は降るなと天に祈る日々。

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2010年4月18日 (日)

美作学講座「中世山城の世界」に出講。

17日は津山市の美作荒神山城跡にて、「美作荒神山城を歩く」と題して現地の史跡で中世山城(織豊系城郭ですが)を案内する講師をさせていただきました。
津山市生涯学習課の地域学事業「美作学講座・中世山城の世界」の4回シリーズの第1回目を担当しました。
10月にある国民文化祭の『中世山城の祭典』のプレイベントでもあります。自分にとっても「史跡からみる地域学」ことはじめです。
週末まで天気が悪くありましたが、当日は新緑もまぶしい快晴!
63名の参加者に来ていただきました。関西からも顔を出していただきありがたいことでした。
津山市・市教委、保存会の方々に誘導していただき、城跡を無事にまわることができました。
実際に歩いて説明する機会を与えていただき、多くのご参加をいただいた津山市の皆さんには感謝するばかりです。

今回のポイントはただひとつ「織豊系城郭の縄張りを理解してもらうこと」です。
これを何となくでも認識していただければ、それ以外の城跡は戦国時代の城跡であるとなります。
荒神山城跡は堀切がある以外は内桝形・連続外桝形虎口やくい違い虎口、横矢の効いた土塁や塁線、櫓台など織豊系城郭のパーツが多くあります。実見するには最適な事例となりました。
現地で実際の遺構を説明しながら、木島孝之氏の織豊系城郭虎口変遷案でキーワードとなる「L字状の腕」となる土塁・石塁線をイメージしてもらうことに務めました。
特に、南東側の虎口と北東側の虎口で丁寧に説明しました。塁線と出入り口に注意してもらいたいことを口酸っぱく言いました。
あと、諸説はありますが、おおまかに分けると中世から安土桃山時代・江戸時代初期の城郭跡は、
1、織豊系城郭 2、武田氏系城郭 3、後北条氏系城郭 4、それ以外の在地系城郭(戦国期城郭) 5、近世城郭(織豊系城郭の発展型、巨大化したもの)
の5種類になります。それぞれの特徴をおおまかに説明しました。

何となくでもイメージしてもらえたら幸いでしたが、参加者は熱心に聴いていただきとても好評のうちに終わりましたので一安心。
説明する私の方も、一般の方々に伝えるのに要点をしぼって簡潔かつ丁寧に説明することはとても勉強になりました。
もちろん、説明の仕方や図の見せ方はまだまだ工夫が必要です。上記の方向性を基礎により良いものにしたいと思いました。
当日の写真は。。。説明している側ですのでもちろんありません(^^ゞ

追伸:後日、主催の美作大学地域生活科学研究所の方から写真や記事をいただきました。ありがとうございます!

2010年4月16日 (金)

[参考資料]豊後岡城下原門の虎口プラン

既に拙稿や『名城百選』で論じているところですが、豊後岡城の下原門は、全国的にも例のない桝形虎口の事例ですのでご紹介。
下に虎口プランを掲示しておきます。連続した外桝形虎口ですが虎口の通路が2手に分かれていてそれぞれの行き先が「奇妙」です。
この虎口プランの特徴が読み取れる人は縄張りがわかる人です。
下原門のような虎口プランは他の近世城郭にはたぶん類例はありません。豊後岡城の特徴を現した虎口プランと言えます。
そして、この虎口プランひとつで初期岡藩中川氏の当主・家老たちの関係が読み取ることができます。まさに貴重な原資料。
今のところ、植林が為された以外は遺構は良好に残っています。大手口から一番離れていますが歩いて行って読み解きに挑戦してみて下さい。

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2010年4月11日 (日)

今日はボランティアガイド。

3月の末にわたしをご指名で「岡城跡を案内して下さい」と北九州からツアーの方に依頼を受けました。
詳しい方にお願いしたいと言うことでしたのでわたしの方にお鉢が廻ってきた次第。
日曜日の依頼だったのですが、幸いなことにちょうど4月からカレンダー通りの生活になった(^^ゞので、
ボランティアガイド委員会に登録する形で引き受けることにしました。

昼からご年配の方50名ほど案内して岡城跡を1時間20分程度。
大手門→仕切門→太鼓櫓門→二ノ丸→本丸→覚左衛門屋敷跡→近戸門という流れ。
ゆっくりじっくりでよいと言うことでしたので贅沢コースで案内しました。
一応、堅固なお城なので足元の悪いところ心配しながら案内しましたが、好評でした(^^ゞ。
大手門は手すりがあるからよいのですが、近戸門は手すりがないので滑って骨折でもしたら賠償モノですよとご教示賜る。
まことにその通り。実際のガイドプログラムは聴き手の体力に合わせて内容をチョイスして絞らないといけないし、
お客さんの「生の声」を直接聴けて何かと勉強になる、よいものです。

ガイドツアープログラムは2007年春に一度企画を組み立て事がありますが、前の職場はなかなか動く機会に恵まれず。
その後も、お誘いいただいた事業でも横の関係からガイドプログラムづくりなどに積極的な関わりができないもどかしさがありました。
しかし、ようやくボランティアガイドという立場で土日のガイドツアープログラムを試すことができました。
とはいえ、この日も午前中は別の要件で下調べしてましたし平日は一般事務職の勤務がございますのでいつもというわけには参りません。
でも、うまく予定がかみあえば、「上質?なガイドツアープログラム」で対応できるでしょう。乞うご期待。
休日向け岡城跡ガイドツアーとまちあるきツアーは、いずれボランティアガイドで企画してもらいましょう(^^ゞ

来週17日は津山市の生涯学習講座で荒神山城トコトンガイドします。晴れることを祈ってて下さい。

2010年4月 9日 (金)

若い世代の城郭研究する方々へ。

縄張り研究も30年近く経過して研究史らしいものも次第にできつつあります。
その意味で象徴的なのが、2002年に退官を記念して開かれた「村田修三先生を囲む会」の写真です。これは中城研のページの中にあります。
リンク張らないでとありますので、リンクは張りませんが興味ある人は画像検索とかでググってみましょう。
ここに80年代以降、活躍された城郭研究者の主だった方々が一堂に会した貴重な機会だったようです。
そうした研究者の皆さんが一堂に会したことからも、村田先生の城郭研究における研究史的役割の大きさが理解されます。
そう考えると、なかなか貴重な写真です。

ちなみに当時のボクは館勤めでいけずじまいという致命的なポカしてます。ホント、遠隔地の館勤めは足かせでした(^^ゞ

村田修三さんを筆頭に、ご挨拶されている方々の研究を追いかけていくと80年代以降の縄張り論をベースとした城郭研究の光芒がわかります。
なかなか入手の難しい文献などもあり探しづらいでしょうが、探索してみて下さい。
もちろん実地で縄張りを理解することが不可欠ですので、その上での話し。
但し、さまざまな論点をすべてを鵜呑みにしないことです。
城郭研究は短期間に急速に理論が進化した研究領域でしたので、進展する研究動向や新たな知見が次々出てくる中で試行錯誤してきました。
さまざまな事例からさまざまな論点が提示されてきたので、一見ややこしいと思います。
それでも、丹念に論考をあたりながら、さまざまな事例研究や論点の中から、これを外しては城郭研究が成り立たないという根本理論があります。
研究史を理解する上で、それを掴むことがポイントになります。

2010年4月 8日 (木)

文書から文書の世界へ。

4月になり日曜版と銘打ったように、平日は貴重な時間を集中して取り組むので、
コチラの更新は一見おろそかな様子。
あまり更新してないと、きっと時間に追われているのだとか、その他いらぬ心配をするかもしれません。

とりあえず今は。。。。
1週間をどのようにコンディションを保っていくのか?
どこまでやると疲れるのか?どこまでやっても疲れないのか?
どの程度休めばコンディションが維持できるのか?
何に集中してやるのか?どこでスイッチを入れ替えたらよいのか?
等々、日常の稼業の負荷をかけながらどこまで本業の作業をこなせるかをリハビリしているところです。

ただ以前よりまったく違う時間を過ごすので、
それぞれの時間にExposéのようにスイッチの切り替えはしやすくなりました。
その分、集中してコンディション管理を進めながら、城跡調査と論文作成に取り組むことが出来ています。
一方で、新たな「稼業」は予想以上に実に学ぶべきもの&得るものがいっぱい。
既にそこにある意味を失い、忘れ去られているか「保護される対象」となっている歴史の残骸とも言える文書(もんじょ)とは異なり、
そこに保管されることに必要性を持つ文書(ぶんしょ)は現在を映す鏡のような生きたテキスト。
その文書(ぶんしょ)と文書(ぶんしょ)にまつわるエトセトラを体感できる場所は、
文書(もんじょ)を並べて机上で裁判するような世界や資料を並べて展示してみせる世界よりも、現実に即した示唆に富んだ世界。
その現場を歴史学をかじった視点でみて・きいて・体験しフィードバックさせることは、これからの自分の研究スタイルに十分に反映できると確信しています。
何のご縁か、実に興味深い世界に来たものです。

まさに「書を捨てよ、町へ出よう」な言葉が想起される春です。

写真はさっそく最初の土日を利用して、桜まつりの津山城跡へ帰省した際のスナップ。
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2010年4月 4日 (日)

美作岩屋城跡。

去年に高山城、医王山城、神楽尾城、院庄構城、小田草城とみて、2月からは荒神山城、林野城、三星城、そしてようやく岩屋城をみることができました。
なかなか美作の戦国・織豊期城郭は興味深い事例が多い。
おおよそ毛利方が築いた拠点城郭の特徴もなんとなくわかってきました。
それと対称的な羽柴・宇喜多方の城郭も、もちろん在地系城郭の特徴もです。感じだけですけどなかなか勉強になる。

毛利氏は高田城→岩屋城→桝形城→(医王山城)→高山城→[因幡]と展開します。
大規模な軍団を押し出して併呑するような展開をみせます。
それを、篠向城や荒神山城を足がかりにピンポイントに寸断しようとするのが羽柴・宇喜多氏側という感じを受けます。


さて、美作岩屋城跡。城跡そのものは特にコレといった縄張り技術があるわけではない。
城域が広く曲輪も大ぶり。水源を持つ谷を2つ城域の中に抱えてその上の稜線に曲輪を連ねるプランです。
これは神楽尾城にも通じるプランです。どちらも毛利氏が軍団を駐屯させる拠点タイプです。
城域の縁辺部には稜線を区画する堀切が築かれています。
虎口は平入り虎口と下位曲輪に土塁を延ばしてスロープにして用いるタイプがあります。桝形虎口などの凝った虎口プランはありません。
なので縁辺部には要注意。

折れや喰い違いをみせるようなプランがありますが地形上そうなったもので織豊系とは言えないものです。
その一方で、大堀切やてくのぼりと呼ばれるハーブバイブのような巨大な畝状空堀群が8本も刻まれるなど、後背からつながる稜線に対しては神経質なまでに防御が施されている。
おそらく陣城群で囲まれたときの籠城戦で徹底的に遮断する意識が反映されたものだろうかと思う。

また、麓の慈悲門寺跡とされる曲輪群は谷あいに曲輪が広がるもので、往時は籠城に使用されたものでしょう。
寺跡とされる広い曲輪には古瓦や備前の破片がたくさん落ちていました。

これと合わせて、土塁によるスロープの評価をしっかりして岩屋城跡の縄張り図をきちんと取ると面白いのではないかと思いました。

美作岩屋城跡は単体としては大味な縄張りと言えます。他の城郭跡と比べてもこれといった特徴を見出しにくい部類にはいります。
でも大味な縄張りの美作岩屋城跡に毛利方の美作国の国衆が籠城し、麓に土塁ラインとコンパクトに織豊系城郭の縄張り技術を用いた陣城を築いた羽柴・宇喜多勢が対峙する。
この構図がそのままセット関係で今日も遺構として残っていることにこそ、この史跡の歴史的価値があると思います。
攻守両方の城郭跡の縄張りの違いは、戦国から織豊期への移行期たる天正10年代の時代を証言するもの。どちらも欠けてはいけないものです。
美作岩屋城跡・陣城群は、織豊系城郭の縄張りを使いこなす両勢力のぶつかった賎ヶ嶽陣城群など陣城のある事例と並んで、
この時代を端的に示す物的証拠、そして、境目たる美作国の地域性が如実に出ている事例と思います。

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2010年4月 3日 (土)

津山城跡の桜、津山さくらまつり。

城跡と夜桜のコントラストは抜群。
外桝形虎口が連発で天守台から高石垣が連なる城跡も、それを彩る桜の本数も規模が違います。
ここは観光協会が入城管理しており入場料は210円なり。29人まで一括注文可能という券売機がありました。桜を観るなら美作津山城跡こと鶴山公園は格別です。
この日はヨメさんとぶらぶら歩いて楽しみました。露店は外国の方がやっているドネルケバブが美味しかった。

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今日の収穫—美作岩屋城跡と陣城群

美作岩屋城の周囲を囲んだ羽柴・宇喜多軍の陣城のひとつ、荒神上陣城。
囲まれた側の毛利方にあった美作国の国衆が結集した岩屋城跡も、広い城域の割には虎口がショボい毛利方の特徴が出ていてなかなか。
基本は平入りか下位曲輪へ伸ばした土塁をスロープ状に使って下りるプラン。
そして、力任せに掘り抜いた巨大な畝状空堀群など見どころたくさん。
それでも、今日は麓の陣城群のひとつ、荒神上陣城跡の写真の馬出しを拝めたことが大きな収穫。これは重要。
現物を見るまでは「ホントに大丈夫?」と半ば疑いの目でした(失礼!)(^^ゞが、
実物を拝見して「ホントにあるんだ」という実感と美作国で織豊系城郭の陣城の好例に出会えた嬉しさに感激しましたさ。

そうなると、美作岩屋城は天正12年の中国国分けの際の立て籠る毛利方国衆の山城跡と接収を図る羽柴・宇喜多側の陣城跡がセットになっている優れた事例。
県指定なんてもったいない。戦国期毛利領の城郭技術の到達点である岩屋城跡と同時期の織豊政権の城郭技術を反映した陣城群が対峙し、
相互に比較できることを考えると重要な遺跡と言えるでしょう。課題は陣城跡の指定範囲の確定でしょうか。
さらに、同じ陣城群でも、技巧的な荒神上陣城に比べてより上方の稜線に築かれた迫畑上陣城跡とは技術差がみられます。
その理由を考えると興味津々、なぜでしょうか。
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2010年4月 1日 (木)

日曜版のごあいさつ。

故あって野に放っていただいたので、4月から10年ぶりにカレンダー通りの生活に戻りました。よってタイトルも日曜版。
一般事務をやってますので、私へのご連絡はご注意下さい。
特に直電はこちらも応対に困りますのでお控えを。郵便も前の仕事場に送っても差し障りはないでしょうが時間がかかるでしょう。自宅でOKです(^^ゞ
メールと携帯電話は可能ですが、即座に対応できませんのであしからずご了承下さい。

と言った具合に環境は変わりますが、幸いなことに、私の研究領域・城館史料学はアカデミー一辺倒でない民間学から創成された学問領域。
元々大学やハコ芸とは縁のない日曜研究者たちで培われてきた研究領域でしたので、自分の研究スタイルとしてはあまり変わらない。
城郭跡は文献史料や美術作品のように閲覧申請などはいらない(土地の方のご理解をいただければ)のが、城郭研究の利点のひとつ。
家族の理解あってこそですし、カレンダー通りの休みは家庭生活との両立も可能になる。やっと明るい家庭生活もできます。
何よりも、カレンダー通りの休日が普通に休めるのはありがたい。
月曜休み+αでは、公的機関の訪問から研究会まで何かと予定が組めず不便でしたし、仕事を介した交流も広げようがなかった。
その上、1日づつ細切れに休むのでは日常生活と調査や研究が細切れにされてしまうのも頭の痛いことでした。

そもそも「学芸員」という肩書きは、博物館法ではハコあってのものなのは文化庁の研修以来常に意識していたこと。
すでに旧帝大な大学機関から自律した研究者の証しである学位(甲)を取得済みなので、研究する上での肩書きも困らない。
一応「元学芸員」さんですから資料の取扱い経験も問題ありませんし、近年はオンライン上のデータベースも充実してくるなどハコ外での不自由さも減少しつつあります。
とりあえずは、10年前も使っていた城郭談話会会員を使う予定。とは言え、普段の仕事がたまたま社会教育施設でないだけで、
稼業に支障のない範囲で分限をわきまえた上で、大学機関からいただいた学位に見合う社会貢献に勤めることは社会に対する当然の責務です。

と前口上をした上で、休日を利用しながらいつも通りに「外から目線」で城館史料学の研究など拙ラボにて取り組んで参ります。
この機会にしばらく充電し、がんばって成果を公表しつつこれからも社会に貢献していく所存です。
日頃は拙ラボをご覧戴いているみなさま、変わらぬご愛顧とご支援、そしてご鞭撻のほどよろしくお願いします(._.)オジギ。

追伸:各方面から励ましのお言葉、ありがとうございます! 外からのオファーはもちろん歓迎です。

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