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2010年3月21日 (日)

戦国期美作の史料集。

目立った大名勢力が不在の戦国期美作国。
赤松・尼子・浦上・毛利・宇喜多・織田などさまざま勢力が介入し、その狭間で多くの在地領主などが興亡したため実に分かりにくい。
そんな戦国期美作国をおおよそ掴める史料集成が『久世町史資料編、第1巻(編年資料)』です。

ただの町史の体裁ですが、一般的な史料編のように旧久世町だけを取り扱った史料集ではありません。
さまざまな諸勢力が交錯した高田城のある真庭(真島・大庭)郡の地の利を活かして、
播磨・美作・備前・備中周辺の関連資料までさまざまな史料集や刊行史料を編年体で掲載すると言う何とも便利な史料集成となっています。
厳密に言うと、高田城のある勝山は勝山町であり久世町はその隣なのに、何とも親切丁寧な町史史料編と言えます。

とにかく分厚くて幅広く収集されています。
もちろん真庭郡の町の町史ですから、岡山県全部を網羅しているわけではなく、もちろん足りないところはあるわけですが、
その分、掲載する史料の引用元を丁寧に載せてくれているので、美作国界隈の戦国期関係史料のインデックスとしても役立ちます。
これで3,000円は実におトクです。
この方面を扱う際のインデックスとして優れた労作だなあ(よく企画が通ったなあw)とページをめくりながら読みふけったわけです。
おかげで、まったくややこしいこの時代の美作国のおおよその流れを掴むことが出来ました。
それでも、天文頃からはじめて読んでも読んでもなかなか天正期までいかない(^^ゞ。

けっこう楽しめますので、その筋の方は題名に騙されず?にぜひとも美作方面の戦国史料集成として仕入れてみて下さい。
現在は真庭市ですが通販しているようです。

参考:落穂ひろい:参考資料(自治体史・史料集など)

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戦国期美作の史料集。を参照しているブログ:

コメント

津山のレジュメありがとうございました。
既に御存知かと思いますが、小早川段階で林野城が使用されていることは黒田基樹氏の「小早川秀詮の備前・美作支配」という論文の中の表で示唆されていたように思います。
ただ、それを裏付ける史料をまだ確認していないので、もし御存知ならば御教示願います。
なお、同じ表の中に備前児島の常山城も登場するのですが、こちらは「紀伊藩士壱岐家文書」の中で確認できます。(『和歌山県立博物館研究紀要第13号』参照)


ところで、美作に関係する史料ということで。

本日、姫路市にある三木美術館で行われている特別企画展「姫路城にまつわる人々」を見に行ってきました。
目当ては館HPの展示品リストに掲載されている「宇喜多直家 秀吉への書状」というやつです。

結論を急ぐと、当該文書は閏三月二日付の羽柴秀吉宛宇喜多直家書状で、閏三月という日付や「西国御行」「廿七日ニ御出張」「一両日中ニ三木江可為御着陣」「作州表之敵于今東西へ相隔致在陣」「小一郎・善浄坊・蜂彦右急於御着下者」といった文言、直家の花押の形状などから、天正八年のものとみて間違いないと思います。
この文書を理解する上で重要なものに、同じく天正八年に比定されている紀伊続風土記所収文書の六月十九日付羽柴秀吉書状写があります。
この秀吉書状写に見える秀吉・直家の動向と、今回出品されている直家書状に見える秀吉・直家の動向は見事に一致しており、原文書の確認できない秀吉書状写の信憑性を裏付ける意味でも重要な史料といえます。

すでに研究者の間では知られている史料なのかもしれませんが、私は初見でしたし、『久世町史』にも掲載されていなかったので、史料紹介と姫路の宣伝も兼ねて投稿させていただきます。
展示は5月17日までのようです。

やましたくん、ご無沙汰です。

林野(倉敷)城は、黒田氏の論文では史料の裏付けはなくて「美作略史」によるもののようです。「武家聞傳記」や「森家先代実録」の古城阯の項には金吾殿陪臣云々が入ったことが書いてあります。
それだけに林野城は興味津々で登ったのですが、櫓台などの切岸は良いもののたいしたプランじゃなかったのが大きな収穫でした。

これまで九州で織豊期は疎かったので、「宇喜多直家 秀吉への書状」は知りませんでした。
関西方面の史料の状況には疎いので追々調べてみたいと思います。
情報多謝です。

来月は荒神山城跡を案内します。荒神山城跡の縄張りは議論したいところなので、ぜひ来て下さい。

瓦の分布状況から考えても林野城の主郭東の櫓台は織豊期に使用されたものだと思います。
石材の分布範囲がやや離れているので石垣の使用までは俄かに想定できないのがつらいところです。
城域の一番奥まったところですが、美作街道を吉野川に沿って播磨から津山方面に入ってくる際、最も目だつ位置に瓦葺きの櫓台が設けられているようです。
あと、城域西端の切岸付近にも瓦が散布していました。
林野の集落から最も目立つ位置に瓦葺き建物を設けていたのでしょう。
あとはこれといった見所がないんですよね。
あえて挙げるとするならば西北尾根の曲輪の土塁ぐらいでしょうか?
こちらは対岸の三星城への最前線になります。
林野城と三星城の関係も気になるところですね。

荒神山については概ね同じ見解です。
今のところ参加できると思いますので、よろしくお願いいたします。

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