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2010年2月27日 (土)

伏見城跡について見学検討会あります。

5月29日土曜日に、大阪歴史学会の見学検討会で伏見城跡をとりあげるようです。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/historia/ 見学会等をクリック。

「伏見城研究の成果と課題」
10:00 近鉄京都線「桃山御陵前」駅改札前 集合(12:30まで)
   ※京阪「伏見桃山」駅より徒歩2分
→伏見城(治部少丸、キャッスルランド跡地、運動公園、北堀公園)、城下町(北側惣構、家臣団屋敷跡=丘陵西斜面)を見学
                

13:30〜17:00 検討会
会場:京都市呉竹文化センター(京阪・近鉄「丹波橋駅」西側徒歩1分)
アクセスはこちら[京都 市伏見区京町南7丁目 075(603)2463]
○報告
・中井 均氏(NPO城郭遺産による街づくり協議会)
 「伏見城と豊臣・徳川初期の城郭構造」
・福島克彦氏(大山崎町歴史資料館)
 「伏見城の機能とその破却について」
・丸川義広氏((財)京都市埋蔵文化財研究所)
 「伏見城の考古学的調査」
・森島康雄氏((財)京都府埋蔵文化財調査研究センター)
 「伏見城城下町の考古学的調査」
 コーディネート 仁木 宏氏(大阪市立大学)

この他、山田邦和、仁木宏両氏の誌上報告もあるそうです。

○趣旨は以下の通り。
伏見城については、これまで城下町研究はある程度、進められてきた。しかし、城郭については、主要部が宮内庁管轄地で自由な立ち入りが
できなかったため、実態はほとんど明らかにされてこなかった。
昨年、大阪歴史学会は他の学会と合同で、この宮内庁管轄地を見学する機会を得、貴重な知見を獲得した。今後は、城内・城外の研究を総
合的に進め、これまで十分に解明されていない伏見城の全体像にせまる必要がある。
本見学検討会は、そうした総合研究の第一歩として、城郭史、考古学などの立場から伏見城研究の現状を提示し、今後の課題を明らかにし
ようとするものである。


午前中10時から、現在みられる範囲の伏見城跡と城下町を見学するようです。
そして、午後から、下記の通り検討会を開くスケジュール。城郭研究では中井さんと福島さんが報告されます。

無料で事前予約不要、一般の方も歓迎とあります。興味深い内容ですのでぜひとも行けたらと思っていますが、行けるかな?
いろんな学会で代表な方々が陵墓内に入ったそうですが、比較的勝手な行動さえ慎めば自由にみせてもらえたそうで、
中井さんにはぜひとも写真スライドを希望。そして、どのような討論が引き出されるのか期待です。

2010年2月24日 (水)

荒神山城に登る。

今回、登ってきた美作荒神山城。
土塁と桝形虎口があるということなので、どれほどの改修を受けているのか確認してきました。
川中山王バス停から40分ほど歩いて荒神山集落に到着。そこから山道を通って城跡へ。
麓に熊野神社がある方の山、西側に似たような山があるけど間違えて登ってしまいやすいらしい。

荒神山城は、1994年の『中世城郭研究』第8号に掲載された池田誠氏の縄張り図があります。
池田さんは織豊系縄張りの影響を受けている点から天正10年代までの宇喜多方花房氏時代を想定しているようです。
最近の調査では『16世紀末全国城郭縄張図集成』には山下晃誉氏の縄張り図が掲載されています。
今回は、最近岡山で調査されている畑和良さん@落穂ひろいの縄張り図を参考にして登りました。

山頂は保存会の方によるものか下草や笹藪が伐採されておりとても見やすい環境にありました。
おかげで土塁や石垣などの遺構の確認がしやすく、大いに助かりました。
大ざっぱな印象を羅列するとこんなところ。
○山頂の主郭部は広く、北西隅に櫓台のような低い土塁囲みあり。東側に張り出してスロープ状に降りる虎口あり。
○主郭の周囲は帯曲輪。北西側と南側に広く北東側は斜面に近い形状。ここもスロープ状の虎口。
○主郭部東側の2段の曲輪の上の方の曲輪には石垣列があり、一段下がった方形状のものはおそらく櫓台。北東隅にも櫓台あり。
 2ヶ所の櫓台が下の曲輪を制するプランとなっている。
○南側の曲輪はよく登城記に写真がアップされる土塁が凸状に南半分を回る。
 折れは直角に近い状態に仕上げてあり横矢を意識したもの。斜面は切岸がかなりしっかりと造られている。
 尾根伝いに侵入されやすい南側尾根筋に向けて、かなり意識して橋頭堡状に横矢を効かせる縄張りとなっている。
○この曲輪には2ヶ所に虎口がある。ひとつは有名な内桝形虎口、もうひとつは北西側から金蔵の段に下りる虎口。
○南東側の内桝形虎口は石列が残る。土塁の突端にある櫓台が効果的な位置を占める。そこから下位曲輪にL字状の「腕」が伸びる。
○金蔵の段へ通じるルートは、途中、上位の曲輪から派生した削平地から伸びる土塁状の地形(切岸あり)から牽制される小曲輪を介する。
○金蔵の段は広い曲輪。東側がへこみ虎口となる。但し開口部が広く人工林があることから後世の手が加わっている可能性が考えられ、
 かなり評価に悩んだのでとりあえず保留。遺構とすると大手に相当する虎口となる。
○館と言われている北側の曲輪群の北端には2つの櫓台が下の曲輪をにらむ。直下の曲輪に土塁と虎口あり。
○石垣は部分部分にあったが、ほとんど見当たらない。全体的に切岸はかなりしっかりしている。

思いついただけで以上の通り。
予想では部分的に改修かな?と思っていましたが、実際には城域の全般にわたって要所を織豊系縄張り技術で改修している。
横矢や桝形虎口、櫓台などの配置には攻め手に対して効果的な防御を行おうとする一貫した意図が感じられました。
なので、ある時期に全体の縄張りを一気に改修した印象を強く受けました。
一方で、関ヶ原以後の大藩の支城にみられるようなコンパクトに縄張りを締めて主郭部を徹底的に改修する感じではなく、
虎口や土塁・櫓台を細かに配置して作り込んだ感じがするので、関ヶ原以前の豊臣大名の支城という印象を受けました。
そうなると、池田さんの説よりも下がって、宇喜多氏末期から小早川時代の城跡として指標になるのかなという印象。
文献史料では、城主の花房氏が文禄3年に宇喜多家中を退去して廃城ということですが、案外関ヶ原頃まで機能していたのではないかな?と思いました。
ボクは縄張りからそうみましたが、先行する乗岡実氏の表採瓦からの年代観とも重なっているようです。
いずれ他の事例と突き合わせて年代観を考える機会が持てればいいのですが。
その意味でも、荒神山城は、機会があれば何度かじっくりと調査してみたい興味深い事例でした。

写真で撮っても感じが伝わらないと思いますけど、こうした地形から城郭研究者という人たちは、曲輪の縁辺部や櫓台・土塁などの上端部と下端部を見分けて作図していくのです。

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2010年2月22日 (月)

城郭跡を歩くこと。

2月22日は、4月に踏査会を行う美作荒神山城に遠征してきました。
朝からヨメさんに送ってもらい津山駅へ。
奇跡的に朝の1本に乗って中鉄北部バスで津山駅からもよりのバス停。。。押渕上ではなく川中山王バス停から
テクテク県道を歩いて行ってきました。

荒神山城を5時間踏査して、実に満足な結果を得て帰ってきました。詳しくは別に起こすとして。。。

なぜ、岡山県の城郭跡を歩くのか?
理由は実に単純。
ヨメさんところに帰るのと、泊まるところがあること。
そして関ヶ原以降に完成された抜きん出た近世城郭と、土塁や畝状空堀群はいろいろ工夫するものの曲輪にたいして特徴のない戦国期城郭しかない九州に対して、
岡山県周辺には、その間にあたる織豊期の織豊系城郭の事例を含めて戦国期城郭から織豊系城郭・近世城郭までまとまってあるからです。

関西出身だけど、九州で城郭研究の洗礼を受けた身としては、
1番軸となる関西・東海の城郭跡をほとんど歩いた経験がない。
よって、織豊系城郭や九州以外の近世城郭を実際に見る機会がかなり少ないと言う課題がありました。
たまたま縁のあった岡山県の城郭を踏査することで、戦国期城郭から織豊系城郭、そして大藩から小藩まで築いた近世城郭を
まとまったかたちで歩き、実地で考える訓練をしているわけです。
近畿では各カテゴリがあるもののその他の要因が加わり特徴が弱くなる傾向にあるので、岡山県辺りの境目くらいがちょうど適している。
幸い、遺構の読み込み方は十分に教え込まれました。でも城郭跡は実際に行って遺構をみながら(できれば作図して)学ばねば仕上げにはなりません。
それを遅ればせながら、今しているわけです(..ゞアセ。

一見、単なるお城めぐりの道楽にみえるようですが、気楽な見学や物見遊山ではありません。
どこかの館や所蔵者に頼んで史料を閲覧したり、埋文センターで遺物を実見しているのと同様のことをしています。
「実際、原史料を見ないと。。。」と同じように、城郭跡を扱うなら「実際に、城跡の遺構をみないと」というわけです。
たまたま扱うのが古文書や指図、出土遺物じゃなくて、現地で露出している遺構なだけで、歴史資料には変わりない。
そして、たまたま空調の効いた閲覧室か、人里離れた山の中かというロケーションの違いに過ぎないのです。
やっていることは同じなんですけど、「古文書めぐり」とかないですから城跡を行くのは道楽みたいに思われるようです。

さて、美作荒神山城はかなり興味深い遺構を拝見。さて、どうやって図面をとる時間を確保したものか。。。

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2010年2月16日 (火)

シンガの地。

拙ウェブログは、私的な時間を惜しむように使っているあれこれラボの研究活動を報告するために書いているのであって、
それ以外の大半の時間を費やしている稼業はパブリックな「業務」ですから、私的なページに事細かに書くことではない。
せいぜいあれこれの研究活動に絡むことくらいしか言及しませんですよ。。。
って一応断りしておくか(..ゞアセ。

さて、今日は天気が悪いということだったんですけど、非番&晴れてたので予定を変更して志賀城へ行ってきた。
天正の豊薩戦争で岡城を守った志賀親次の本拠地です。
宣教師の報告やフロイスの『日本史』には、爺さんとは違って熱心なキリシタン武将だった「期待株」の親次くんを事細かに書いています。
それをみると、九州国分けによる豊後一国体制になるまでの彼の居場所は「岡」ではなく常にシンガとなっています。
シンガには教会を建てたり、臼杵など宗麟や義統の近くに詰めない時は居たりしています。
このシンガですが、親次が島津勢の北上に備えて岡城に籠るので、彼を岡城主とする考え方から、このシンガを「岡」と解釈されています。

でも、稲葉川と大野川が合流する地点にある中世岡城から下流に行くと、
大野郡のかつての朝地町・緒方町に分かれて大野川沿いに志賀という地域があります。
ここは元々、志賀氏の本貫地になります。今日も志賀城跡が遺ります。
素直に読めば、親次はこの志賀に普段は居て非常時の詰城として中世岡城を構えていたと考えるべきです。
但し、九州国分け以後は大野・直入郡に居ることが多かったようで中世岡城にも頻繁に滞在しています。
それでも、宣教師の報告や『日本史』をみると、志賀と岡を併用していたようです。

そんな志賀城跡を見て来ました。
志賀地区の南側、大野川に面した小高い独立丘が城域です。大野川から貫入する谷や迫地、斜面を利用した田畑が周囲に広がります。
予想通り、志賀城はただの平坦地が連なる丘城でした。主要部は平坦地のままでしたが切岸もほとんどありませんでした。
周りは、江戸時代から墓地になっていたり、山仕事や畑仕事の手が入った状態になっていました。
堀切や竪堀などは確認できませんでした。
伝承などがなければ、城跡かどうかも悩むような、地形をそのまま利用して構えたタイプの丘城でした。
立地的には岩盤があるわけでもないのでやろうと思えばできたと思うのですが、そうした造作が加えられていないことがわかったことが収穫でした。

下竹田を除く直入郡や大野郡西部の戦国期城郭はほとんど手が加えられない平坦地を利用したものが多くみられます。
両志賀氏や朽網氏、一万田氏などがそうした同じようなタイプの城を築いています。
直入郡の場合なら溶結凝灰岩の地勢故にできなかったという可能性もありますが、大野郡まで来ると丘陵地はそこまで影響しない。
なのに、親次段階の天正後期でも細かな造作を加えないで城郭施設を運営していたわけで、大友氏領国の性格を考える上でも興味深い資料が得られました。
築城技術は現地の技術を採用していたという、自前で積極的にあれこれ造作しない点も志賀氏の特徴として興味深いですが、
南志賀氏や朽網氏、一万田氏などが居館跡が比定できるのに対して、北志賀氏は天正後期の親次まであまりこの地域の足取りがわかっていないことを踏まえると、
他の南郡衆に比べて、宿老級の北志賀氏は臼杵や府内に詰めていてあまり在所には居なかったんじゃないのかな?という気もします。
この辺をうまく整理したいと思います。

普段は周囲の迫が入った村落の中に屋敷を構えていたのでしょう。
写真にある風景のどこかに教会もあったのやもしれません。
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2010年2月15日 (月)

お仕事なう。

さて、しばらく遠征などありまして更新が出来ずじまいでした。
紀伊和歌山城は最高に良かった。でもカメラ忘れて写真撮れていません(ノ_<)。ぜったい再挑戦します。
2月5-7日の台北遠征は面白かった。慰安旅行で天気は悪かったんですけど最高でした!
で。ようやく落ち着きました。
もちろん、平時の「稼業」は年度末に向けて着々とこなしております。来年度はOH!というネタを準備してます。
稼業の合間に、二足のわらじで「ラボ」をやってますので、貧乏ヒマなしやりくりしてます。
でも、最近はいろいろな方々に作業を分担していただくおかげで、以前よりはゆとりがあります。ありがたいことです(._.)オジギ。

と前口上をして、遠征で滞っていたラボのお仕事を再開。
ただいま、3月13日(土)の津山市文化財調査報告会のレジュメ作成中です。
平城と居館・屋敷についての研究史を整理し、その研究動向をもとに院庄館や院庄構城について位置付けをします。
それと、3月14日(日)には、美作の中世山城連絡協議会で講演する予定ですので、そちらのレジュメも準備中。
こちらは、城郭史研究のこれまでの流れを概観して、美作地域の山城・丘城、及び今日残る平城をどう地域史研究の史料として捉えるか
をテーマに「城郭史研究入門」的なものを予定しています。
いずれも10月の山城サミットに向けて、この機会に地元の方々と山城・丘城など地域の「史跡」を地域史研究の重要な歴史資料として、
如何に地域資料情報を引き出していけるか?を可能な範囲で共有していきたいと思う試みです。
そして、4月は宇喜多方の拠点、荒神山城を巡検します。その前に一度津山に行って下見をしてきます。
こちらも協議会での講演を踏まえて、どのように遺構を歴史資料として読んでいくのかを共有できればと思っています。

それと、3月末までに2008年の豊後岡城についての拙稿以来の「続編」をまとめています。
『城館史料学』最新号に間に合わせるべくがんばります。8月にはセミナーも待っている!

それと、もうひとつ。
大学院で「地域資料情報」となのる講座に居たこともあり、さまざまな地域資料を駆使する総合資料学に基づく歴史学研究について整理してみようと勉強中。
単純にこれまでの「学際的研究」の整理ですけど、もちろん、私のやっている城郭史研究を柱にしてのものです。
歴史学・考古学・建築史学などを交えて何回かにまとめることを準備中です。
大分では「荘園村落調査」という先駆事例があります。城郭研究も「ひとり学際研究」と言われるような活動を重ねています。
そうした事例を整理しながら、ともすれば文献史料偏重になる研究手法について多様な視線を用意できたらと妄想中。
まあ、何度か手直し手直しして。。。となるのでしょうが、試みてみたいと思います。

2009年はいろいろと清算したので、やっと1999年頃の初心に帰って身軽になりました。
2010年はこんな調子で進めていきます!


ということで、しめは、旧暦では年末だった台北旅行の写真(^^ゞ
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2010年2月 2日 (火)

『理解しやすい倫理』

蛍雪の1日(といっても雪じゃなくて氷雨でしたが)、『理解しやすい倫理』を読みふける。
確かに理解しやすい。
この年になって、演繹法と帰納法の違いをキチンと頭の中で整理できました(´・ω・`)。。。

『倫理』の科目は高等教育には必須ですよ、というぐらいに参考書はいいナビになりました。
ギリシアや中華圏、仏教、キリスト教などの古典思想から、我が国の思想史を概観して、近代思想・現代思想へ続くと言う構成。
学生時代に抑えていれば、何から読んでいこうかも順序立てたのに。。。と思うくらい。
あと、イスラム思想と宋学以降の中華圏の哲学思想があれば言うことなしですね。
いずれ書き加えられることを期待しましょう。
Cover


2010年2月 1日 (月)

「院庄館・構城を考える」@津山市やります。

去年はアート三昧でしたが、今年は痕跡探しの城跡の研究でアレコレやります。
ということで、今年は私のもう一つの拠点、津山市でもいろいろと活動をします。
というのも、岡山県で開催される国民文化祭の一環として、津山市開催行事のひとつに「中世山城の祭典」があるからです。

毎年行われている「全国山城サミット」(公式ページがないのでコチラをご参照下さい。)は山城を持つ自治体が参加する自治体交流事業。
17回目の担当が岡山県津山市で、国民文化祭行事として「中世山城の祭典」を10月末に開催する予定となっています。

この事業に冊子作りなどでお手伝いする予定です。ちなみに、津山市の加盟城郭は「矢筈城」と「岩屋城」だそうで、既に矢筈(髙山)城はチェック済。

その一環で、今年は津山市でいくつか城郭絡みの企画に参加します。
その最初の企画として、3月に国文祭プレフェスとして
「院庄館・構城を考える」をテーマにした研究報告会を行います。
津山市教育委員会文化財課のご協力で、「津山市調査報告会」の枠で開催します。
概要は以下の通りです。

第28回津山市文化財調査報告会—院庄館・構城を考える—
と き:2010年3月13日(土曜日)13時30分〜16時30分 終了予定
ところ:グリーンヒルズ津山リージョンセンター(岡山県津山市大田512)
内 容
報告(各45分)2と3の間に休憩10分あり。
1 前原茂雄(九州大学)「『院庄』とは何か—中世院庄の歴史・地理学的分析」
2 森 俊弘(岡山地方史研究会) 「文献史料からみた院庄館・構城」
3 中西義昌(城郭談話会)    「城郭史からみた
院庄館・構城
討論と質問タイム

の予定です。
津山市教委でこれまで行った院庄館と近年行われた院庄構城の部分的な発掘調査を踏まえて、3者の切り口から中世院庄の実態について考えようと言うものです。
ボクは縄張り研究の視点から、中世美作の山城や構と呼ばれている平地の城郭について、城郭史研究からどのように捉えられるのか、位置付けと見通しを語る担当です。
ここから周辺の山城と平地に残る「構」の保全に目を向けてもらえれば幸い。

美作中央部の津山市周辺には戦国期の拠点となった山城が多く、それぞれ地元で熱心な保存会がある関心の高い地域です。
秋の山城の祭典に向けて、まずは政治的な拠点にもなった院庄の実態について様々な視点から検討する研究会からはじめます。
ちょっと遠いですが、よろしければ聴きにきて下さい。
あと、4月17日には生涯学習講座の一環で、「中世山城入門—美作荒神山城を歩く—」します。中世なのか?という疑問はおいといて。
こちらは10時集合、15時半解散の予定です。こちらは後日またお知らせします。

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Foxkeh! フォクすけ!


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