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2009年12月16日 (水)

安楽平城に登ってきた。

今日は寒波到来の福岡へお出かけ。途中、長湯〜湯平越えは雪が積もっていた。
10年ぶりの安楽平城へ下調べに行ってきました。いやあ、博多湾からの風が寒いを通り越して冷たい。
高祖城に続いて、10年前の縄張り図に書きもらしや見落としがないか確認に行く、まさに「清算行脚」(^^ゞ

ラジオを聴きながらひとり図面とカメラを片手にウロウロ。
他の人が指摘していた主郭部の石垣ラインの見落としも無事確認(ノ_・。)。あと谷の小曲輪を2つほど確認。
高祖城の畝状空堀群と同じく、安楽平城の石垣もおそろしくわかりやすい位置に見つけることができました。(´д`;
10年前の自分はあちこち堀切はくまなく踏査したのにこんなわかりやすい石垣を見落としていたのか。。。(´д`;
あちこち精査したはずが、足元の初歩的な遺構を見落とすなんてアホか、コイツ。
と、10年前の自分を叱っても意味がないので、さっそく図面の一部手直しにかかりますσ(^_^)


高祖城に続いて、結果オーライでこれまでの持論を補強する確認作業にはなりヤレヤレですが、高祖城に続いて宿題が増えました。
安楽平城の縄張りは基本的には小田部氏段階で主郭部と防塁型ライン、堀切といった大枠はできたと思います。
しかし、今回遺構を再確認してまわって最終段階には筑紫氏の改修がかなり入っているなあ。と確信してきました。
石垣の辺りは多分筑紫氏のものと思われます。
筑紫氏時代の城主は、筑紫大炊助。彼の出自は大村氏。。。大内氏研究の方ならピンときますね。惟門の姉婿が大村氏でその子辺りかと考えられる人物です。
近々、図面を手直しして、もう少し資料を整理して論文にまとめます。

ちなみに写真はちゃんと図面には書いてある著名な防塁型ラインの石垣。
これも小田部氏か筑紫氏か微妙?と思っていましたが、結果、筑紫氏の可能性大。あらためてみると勝尾城と似てますよね?
もうひとつは早良平野の遠景。遠くに飯盛山城と柑子嶽城まで観えます。
対岸の防塁型ライン上の曲輪には、地元の方がイスを置いたり木を刈ったりして下さっていて、見晴らしがよろしくなっています。。
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安楽平城に登ってきた。を参照しているブログ:

コメント

Googleで『筑紫大炊助』を検索したところ、こちらのブログを発見いたしました。先日、ルーツを求めて荒平城にはじめて行ったのですが、この記事を拝読して、さらに興味が湧きました。さすが、本職の方は切れ味が違うと感じ入りました。ありがとうございました!

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