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2009年11月 3日 (火)

陣跡めぐり@肥前名護屋

2日は早朝から出発して、福岡経由の鎮西町行き。
途中でKさんと落ち合って、佐賀県立名護屋城博物館で開催中の「肥前名護屋城と「天下人」秀吉の城」を観に行きました。
会期中無休なので月曜日に攻めてきました。
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2005年に「秀吉と城」展、2007年に「秀吉と文禄・慶長の役」と2年毎に行われる城がらみの展覧会です。
安土城から山崎城、大坂城、聚楽第、石垣山城、名護屋城、伏見城と構成された内容ですが、何といってもお目当ては大阪城天守閣や安土城考古博物館等々のあちこちの城郭研究ではおなじみの史・資料(屏風図や絵図、城絵図、出土遺物、古文書などなど)を九州で観に行けること。

今回は三井文庫の聚楽第屏風が出てました。「安土山下町中掟書」、小田原陣の絵図、大坂城跡出土の沢瀉紋押瓦などなどウハウハものです。もちろん肥前名護屋城屏風も(・o・)。
これらの資料をみながら、ああでもないこうでもない。前の評価と変わっただの相変わらずだの言いながら観て来ました。

また、こちらになじみ深い神戸大学中川家文書も多数出てました(神戸大学ではウェブ上に公開するなど、織豊期の貴重史料群が特定の研究室に留まることなく公開されています。広く共有されることは学術的にも大事です)。
中川秀政が秀吉から度々受けた書状や、中川久盛率いる岡藩隊が唐津城を受け取ったときに調査した沿岸図や唐津城図と記された肥前名護屋城縄張図、隣国様子聞合帳までありました。
このように、神戸大学中川家文書は豊臣政権から近世初頭を知るにはとても重要な史料群です。
豊臣政権初期に近い立場にあった勢力で古文書を多数残しているものはあんまりないものです。
中小規模の大名では中川氏か一柳氏くらいなものか。。。慶長末期から元和期以降でもかなり貴重な状況です。
豊後岡藩にも関係する神戸大学中川家文書の貴重さ、そして数少ない織田取立て大名の生き残りで一定数の古文書を残した重要性を竹田の人には知ってもらいたいものです。

と脱線しつつ展覧会を満喫。今回と前々回の図録、別件資料集の石垣集成、紀要などを購入して戦果をあげて退出。
それから陣跡をまわることにしました。海風の厳しい日に岬めぐりならぬ陣跡めぐりです。
今回の図録の後に発掘や整備の写真がまとまって掲載されていたのでそれを参考にしつつ、カウンターでいただいた地図を使って整備されているであろう陣跡をまわっていくことに。
ちなみに全て「伝」です。あしからず。

最初に行ったのは道の駅にも近い前田利家陣・・・・。確かに石垣修理をしてましたが思いっきりブッシュでした。
何とか立ち往生もしながら石垣をカメラに収めてきました。ここは抜きん出て高石垣でした。
それから、波止岬の北条氏盛陣、生駒親正陣はキャンプ場敷地内としてまだよい方でしたが、島津義弘陣も潅木の中(ノ_<)。増田長盛陣は完全に埋もれてました(ノ_<)。
それでも、島津陣は石垣もしっかり撮影できました。増田陣は断念。
それから国道に戻って、鍋島直茂陣へ。道がわからなかったので民家に通じる里道の方からアプローチ。
頂上の石列はみたものの、麓の石垣を観るのを忘れました(ノ_<)。
地図をもらえたのはありがたいのですが、番号打っているのにこれらの陣所は未整備でかなりブッシュなところが多いです。
普通の服装では厳しいですので要注意。。。

それから、ようやく整備された羽柴秀保陣と堀秀治陣へ出て、夕日が迫る中まとまって写真に収めてきました。
肥前名護屋城は次回に期すとして、一気に主な陣跡をみてまわり傾向を掴めたのはありがたかったです。

写真は伝前田利家陣、伝島津義弘陣、伝豊臣秀保陣、伝堀秀治陣の順です。多種多様なのが一目瞭然です(^^ゞ。

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