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2009年10月18日 (日)

美作国の中世城郭資料整理&美和山城へ行きました。

今日は朝から津山市でお仕事。
津山方面で中世城郭の見取図を精力的に調査されてきたYさんの図を紹介するために整理する作業。

Yさんの図は図面としては20年前の感じではありますが、いくつかの城郭では縄張り図が公表されているものの、まだ悉皆的な縄張り調査が進んでいない旧美作国ではかなりの事例を図化しており貴重な先行成果。
今後の調査を喚起すべく貴重な成果を公開するために整理しようという目的の作業です。
来年10月までの長丁場ですがオファーをいただいたのでお手伝いの一員として参加することになりました。

わたしとしては、中国地方においてなかなか魅力ある美作方面の戦国期城郭を把握するよい機会。
全国的にも把握する必要のある岡山県の中世城郭、このような機会を与えていただいた皆さんの期待に沿うよう勤めたいと思います。


さて、当日夕方まで作業した後、同じく作業に関わられているMさんのご案内で夕闇迫る美和山城へ寄ってきました。
美作二宮の近く、国道179号線バイパス沿いにあります。
二宮の社司立石氏の城郭と伝えられています。
国指定史跡美和山古墳群の内、丘陵の一番北側にある前方後円墳の1号墳まで歩くと、古墳の両端に土塁が築かれているのがみえます。
1号墳の北側は川により崖となっています。墳丘の上にも土塁が配され増設された土塁と共に北側の平坦部を囲んで城域とする、俗に言う「後ろ堅固の城」です。
墳丘部の主郭と北側の土塁で囲まれた第二郭で城域が形成されていたと考えられます。
前面の丘陵上には古墳が並びますが、その間に人工的な横堀状の凹みが2箇所ありました。
遠堀かどうかは微妙ですが1号墳より前面の処理が難しいので可能性として考えられそうです。いずれ調査してみて評価を検討するとしてとりあえず保留。
国府のあった神楽尾や津山の総社方面から院庄へ抜ける街道筋をおさえていたのではないかとされる美和山城。院庄の東側を押える要害として機能したと思われます。

興味深い事例をご案内いただき、Mさんには感謝です。

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