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2009年10月11日 (日)

小早川家文書と秀吉。

戦国・織豊期の西国をやる上で毛利氏の基礎史料は欠かせない。
毛利氏は、大日本古文書で毛利・吉川・小早川とあり、萩藩閥閲録などの書上げ史料など基礎資料は充実している。
その一方で、毛利氏領国の城郭像はなかなか全体像が描けていないところがある。
この辺はこれまでやってきている大友氏領国と似ていて常々比較対象として興味を持ってきた。
どちらも戦国大名としての城郭像がみえない一方で有力国衆(戦国領主?)が地域性に富んだ縄張りを展開する。
自らが手を加えた城は特に共通点をもたないのに、それより優れた各地の拠点城郭を無節操?に取り込んでいく軍事編成も似ている。
この辺は、自らが手を加えた拠点城郭に何らかの共通性を持つ後北条氏など東国の戦国大名とは違うところ。

大友氏関係は増補訂正編年史料以外はコピーできているので、随時毛利氏関係の史料を集めている。
萩藩閥閲録は2年前に、今年は小早川家文書と吉川家文書を仕入れた。あと毛利家文書を何とかしたいけど大穴開けたので厳しい(ノ_<)。
毛利氏関係では大日本古文書は東京大学史料編纂所にはデータベースがあったりして便利と言われるものの、Mac環境では見づらいので古書で仕入れた。

さっそく、小早川家文書を読んでいるけど面白いのは、小早川隆景に宛てた豊臣(羽柴)秀吉の書状がまとまってあること。
豊臣政権の基礎史料と言ってもよいですね。
秀吉が仕えた織田信長も何かと荒っぽい文言を出す人だったようですけど、隆景に出す秀吉の書状ははるかに物騒な表現が多い。
秀吉は関白になっても戦線へ出す書状には撫斬りや干殺し、誅罰とか○○奴原など「布武」な荒っぽい文言が随所にあってなかなか興味深い。
一応、関白なんですけどすさまじいものです。彼の方が世間に流布する信長像よりもよっぽど「絶対君主」に近いような気がします。
日本史上で、彼ほど残虐さを備えた強権を振るう絶対君主的存在に近づいた人は他にいないと思います。
中でも、反抗する奴原は城に押し込めて干殺しとか、干殺しは初期の中国国分けや四国・九州の国衆一揆討伐でひんぱんに出てくる。
それを見てると、播州三木や因幡鳥取など何だか「干殺しの秀吉」なんてキャッチフレーズのような気がしてくる。
きっと備中戦でも秀吉が岡山入りしたのを受けて、毛利勢では「あの干殺しの羽柴秀吉が来た」と浮き足立ったのか?と邪推する。

そんな秀吉が毛利氏領国の窓口に指名したのが小早川隆景。毛利本家と豊臣政権の間にあって苦慮するわけですがその辺を目を通しています。
どうでもよいですけど、毛利両川の隆景と毛利からの養子秀包、秀吉からの養子秀秋など戦国・豊臣期の小早川氏を題材に歴史小説つくったら面白いと思います。
小早川秀秋は若死していて肖像画をみると優柔不断の貴公子っぽいですが、実際はかなりキーマンな動きしている様子。関ヶ原で恩を売って宇喜多領をもらうくらいですから軽視してはならないのかも。
豊臣政権は毛利に始まり毛利に終わるは、Kさんが城郭研究の視点から唱えられていますが、そのキーマンに計らずもなった隆景とその周辺。いろんな史料を押えながらどなたかトライしません?

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