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2009年9月27日 (日)

出雲街道沿いの津山城西界隈。

24日の夕方に豊後竹田駅を出発して、深夜に津山駅に到着。
25日は1日中、頼まれ調査事業の下打合せがありました。9時45分に津山駅集合。

で、朝からヨメサンは出勤していきましたので津山駅に行く前に奴通りより西側の城西界隈をぶらぶらしてきました。
徳守神社と森家の菩提寺本源寺、新しくできた城西浪漫館(旧中島病院)までテクテク。
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こういうのを「歴史的町並み」というんですよ、と竹田のひとというか九州のひとに申したいような、本格的な町並みが続く出雲街道沿いの各都市。九州ではなかなかお目にかかりませんが、関西や中国地方ではこの程度の町並みはざらにあります。旧街道沿いで観光化されてないところでもけっこう残っているところ多し。もっとも、津山でもアップ&ダウンな経済状況であちこち空き地になったりアパートになったりしていますが割と残っている方です。勝山はもっと残りのよい町並みがあります(^^ゞ。

関西や中国地方でもようやく単なる外観復元に留まらない町並み整備に行政が本腰を入れはじめてきましたが、津山市でも歴史的まちづくり法に去年度申請して急ピッチで整備が進みつつあります。
市街地では電柱地中化工事もはじまった様子。
歩いていると10月4日には城西まるごと博物館なる企画のチラシが貼ってあったりして竹田が10年くらい前から言い出している取組みが違うところで広がっているなあと実感。
津山の場合、まるごと博物館というカタチで攻めるのに十分適した財産を持っていると思います。
美作藩18万石・津山藩10万石の城下町だけあって城西・城東にいいものをそろえています。美作全体なら出雲街道がひとつのキーになるでしょう。
ただ、まだまだ解説板や標柱などの目印が未整備です。できるとボクのような一見さんも安心して歩くことができます。
もうひとつ歴史系の方々に案外知られていない。学術的な面と同時に、自前の旅行商品づくりなどツーリズムに如何に乗せるかのソフトづくりが課題でしょう。


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なんて考えながらテクテク。その城西を大きく真っ二つにしている奴通りから福渡町へ入り、だんじり小屋をみながら津山の総鎮守の徳守神社まで。
だんじりは足回りは近代化されているので泉州・河内のだんじりのような荒っぽさはなさそうで神輿が車に乗ったようなカタチだとか。いつあるんでしょうか。
神社の社殿は寛文4年に2代藩主の森長継が改築させたものとか。江戸時代らしく檜皮葺きなので神社なんですけど屋根の組物などはお寺のようです。
中山造のすばらしい建築です。朝の光で浮かび上がる建物をしばし堪能。

長継は森忠政の娘が有力支族の関氏に嫁いで生まれた外孫ながら忠政の子が早死にして2代藩主となった人物。
3代長武に家督継承後も89才まで生きて、4代長成から5代衆利の改易まで立ち会うことになった数奇な運命をたどります。
衆利除封後は長継の隠居領2万石で森家の名跡が継承され、備中西江原から播磨赤穂へ転封となった。なので赤穂の大石神社になぜか森家の史料がワンサカあるという案配。
そんな森家と関家の関係などを軸に、忠政と長継を調べてみるとなかなか面白いような気がする。

そこから森家の菩提寺本源寺まで歩く。
寺門が現在の寺の敷地より手前の出雲街道側にあり往時の境内の広さをうかがえました。なるほど美作一国大名の菩提寺です。
森家代々の墓は鍵がかかっていて入れず。ウラから塀越しにのぞいてきました。やはり近世初期の墓石はデカイです。
門の前で忠政にあやかって武運長久を祈ってきました。

少しはご利益あるかも。。。

それから城西浪漫館(中島病院洋館)に寄ってタイムアップ。大慌てで津山駅まで歩いていきました。
作州民芸館などの洋館も多く遺すところが近代津山の大きさをうかがわせます。その辺と寺町界隈は次の機会にします。

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