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2009年9月28日 (月)

ヒストリア別冊届く。

研究会の見直し作業の一環として、大分県地方史研究会を退会して大阪歴史学会に入会しました。
考古系があるのともう少し関西方面にアクセスを広げたいと思ったからですが、様子を見てから他の九州系の研究会参加も暫時縮小しようと思っています。

さっそく、
ヒストリア別冊の『大坂城再築と東六甲の石切丁場』が送られてきました。
ほしかった冊子がきてワーイ(・o・)。

内容としては、各地の調査事例などが掲載されたもので突っ込んだ考察までないように思えたのが印象的でした。
ひとつの城の普請を各大名に振り分けて実施することの意味とか、その際にどういった現場が生まれたのかを遺構・遺物から評価するのが重要ではないかと。事例の収集がまず先に必要であり突っ込んだ考察は後からとしても何らかの見通しがないと個別事例の集積でしかなくなるような気がしました。
こうした天下普請の築城ではかなりな労力と投資がかかっているわけですが、今さら「西国大名の弱体化」なんて俗説は放置しておいて、こうした諸大名を動員する協働作業の歴史的位置づけや当時の社会にどのような影響を与えたか、こうした作業を可能にした経済状態とは?などなど、さまざまな課題を念頭において遺構分析ができないかな?という問題意識で基本的なところを学ぶべく拝読させていただきました。

岡城の石垣を積み上げた中川家もけっこう参加している大坂城の天下普請。大分県の枠組みでは全く拾えない領域について、関西方面の研究動向から照射するよう心がけたいものです。とりあえず、大阪歴史学会に移ったメリットは十分に感じました。

2009年9月27日 (日)

出雲街道沿いの津山城西界隈。

24日の夕方に豊後竹田駅を出発して、深夜に津山駅に到着。
25日は1日中、頼まれ調査事業の下打合せがありました。9時45分に津山駅集合。

で、朝からヨメサンは出勤していきましたので津山駅に行く前に奴通りより西側の城西界隈をぶらぶらしてきました。
徳守神社と森家の菩提寺本源寺、新しくできた城西浪漫館(旧中島病院)までテクテク。
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こういうのを「歴史的町並み」というんですよ、と竹田のひとというか九州のひとに申したいような、本格的な町並みが続く出雲街道沿いの各都市。九州ではなかなかお目にかかりませんが、関西や中国地方ではこの程度の町並みはざらにあります。旧街道沿いで観光化されてないところでもけっこう残っているところ多し。もっとも、津山でもアップ&ダウンな経済状況であちこち空き地になったりアパートになったりしていますが割と残っている方です。勝山はもっと残りのよい町並みがあります(^^ゞ。

関西や中国地方でもようやく単なる外観復元に留まらない町並み整備に行政が本腰を入れはじめてきましたが、津山市でも歴史的まちづくり法に去年度申請して急ピッチで整備が進みつつあります。
市街地では電柱地中化工事もはじまった様子。
歩いていると10月4日には城西まるごと博物館なる企画のチラシが貼ってあったりして竹田が10年くらい前から言い出している取組みが違うところで広がっているなあと実感。
津山の場合、まるごと博物館というカタチで攻めるのに十分適した財産を持っていると思います。
美作藩18万石・津山藩10万石の城下町だけあって城西・城東にいいものをそろえています。美作全体なら出雲街道がひとつのキーになるでしょう。
ただ、まだまだ解説板や標柱などの目印が未整備です。できるとボクのような一見さんも安心して歩くことができます。
もうひとつ歴史系の方々に案外知られていない。学術的な面と同時に、自前の旅行商品づくりなどツーリズムに如何に乗せるかのソフトづくりが課題でしょう。


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なんて考えながらテクテク。その城西を大きく真っ二つにしている奴通りから福渡町へ入り、だんじり小屋をみながら津山の総鎮守の徳守神社まで。
だんじりは足回りは近代化されているので泉州・河内のだんじりのような荒っぽさはなさそうで神輿が車に乗ったようなカタチだとか。いつあるんでしょうか。
神社の社殿は寛文4年に2代藩主の森長継が改築させたものとか。江戸時代らしく檜皮葺きなので神社なんですけど屋根の組物などはお寺のようです。
中山造のすばらしい建築です。朝の光で浮かび上がる建物をしばし堪能。

長継は森忠政の娘が有力支族の関氏に嫁いで生まれた外孫ながら忠政の子が早死にして2代藩主となった人物。
3代長武に家督継承後も89才まで生きて、4代長成から5代衆利の改易まで立ち会うことになった数奇な運命をたどります。
衆利除封後は長継の隠居領2万石で森家の名跡が継承され、備中西江原から播磨赤穂へ転封となった。なので赤穂の大石神社になぜか森家の史料がワンサカあるという案配。
そんな森家と関家の関係などを軸に、忠政と長継を調べてみるとなかなか面白いような気がする。

そこから森家の菩提寺本源寺まで歩く。
寺門が現在の寺の敷地より手前の出雲街道側にあり往時の境内の広さをうかがえました。なるほど美作一国大名の菩提寺です。
森家代々の墓は鍵がかかっていて入れず。ウラから塀越しにのぞいてきました。やはり近世初期の墓石はデカイです。
門の前で忠政にあやかって武運長久を祈ってきました。

少しはご利益あるかも。。。

それから城西浪漫館(中島病院洋館)に寄ってタイムアップ。大慌てで津山駅まで歩いていきました。
作州民芸館などの洋館も多く遺すところが近代津山の大きさをうかがわせます。その辺と寺町界隈は次の機会にします。

2009年9月23日 (水)

23日はアーティストトーク番外編で〆。

23日で無事にテラマチミュージアムなどを軸としたAAF分の「テラマチあります。」は終了。
最後の日は、諏訪さんと立川さんがいらっしゃいました。
諏訪さんとはダルヴィーダ以来たびたびお付き合いさせていただいています。
美術館畑じゃない私が「今を生きている」アーティストな方と関わったはじめての方です。
立川さんはご存知、セブンポイントで展開されているアーティストな方。
セブンポイントはなかなか行けてなかったので来ていただきありがたいことでした。

館の仕事を終えてから、諏訪さん・立川さんとアートのこと、この企画のことであれこれ談笑させていただきました。
気がつけば17時から19時過ぎまで。辺りはすっかり真っ暗になっていました。
そもそもアートな世界と触れるきっかけとなったのは、諏訪さんがこのウェブログをごらんになってプロジェクトの中にお招きいただいたことから。。翌年には宇部ビエンナーレの三炭町での作品「働きます」もみて、ビエンナーレ共々刺激になったのを覚えています。アートマネジメント学会でも。
それからしばらくあれこれ多忙になって、数年経って何がどうなってテラマチになったのでしょうか?という展開の〆に来ていただき、不思議な気分でした。

ボク個人として、たけたでのアート放浪記の静かないい感じのフィナーレでした。
貴重な時間を、ありがとうございました!

2009年9月22日 (火)

19日はぶっちゃけトークしました!

19日は午後はギャラリーツアーを。
そして、夜には本町のエリアラボたけたで、参加作家とともにぶっちゃけトークを行いました。
ゲストに大分市美副館長の菅章さんに来ていただきました。
出足が心配されましたが、30名近くの参加者にきていただきました。
ありがとうございました。

司会と進行を私がやりましたので写真が手元にありません(^^ゞ
ビデオなどは多分撮っていると思います。
この企画は数日前からドキドキものでどんな意見が来るのか、どのように持っていくのかさまざまに考えて精神的にも大変プレッシャーのあるものでした。

さて、本番。
今回の企画に関連してまちのひとの感想、参加された作家—竹田の中、竹田の外、さまざまな立場から「ラストに相応しい」ぶっちゃけのところ、な意見がトンドン出てきました。実にありがたかったです。
真摯な意見を多く頂き、司会としても有意義な学習機会となりました。
そして、拡散しそうなところを菅さんにきちっと交通整理していただいた上で、さらに皆さんから突っ込んだ意見をいただきました。
最後に、地元の方々から感想をいただいて1時間半のところをオーバーして2時間弱のトークイベントととなりました。

おかげさまで、アートイノベーション実験にふさわしく、すべてがこの実験で得られた「糧」となります。
そしてこの「実験」で竹田に関わられたアーティスト、菅さんたちの世界と竹田をつなぐきっかけになったと思います。
この実験成果を活かすも殺すも、今後の竹田のアクション次第でしょう。
何かあったら相談できる窓口ができたことはいいことです。

みなさん、ホントにおつかれさまでした!

2009年9月21日 (月)

MacBook Pro、なう。

20日に無事到着してましたが、諸般の事情(単にお隣りの宅呑み)に引っ張られて受け取ったのは21日。
20日夕方に再び「眠りMac」となったPowerBook(修理に出したら治るとは思うが。。。)から吸い上げたデータを、さっそくMacBook Proへ移行しました。

TigerやLeopardで使っていたロゼッタ仕様のアプリ資産が案外使えたのには感動。
既に過去帳逝きの、egwordもegbridgeも無事に使えました。やれやれ。
HDもたっぷり仕様でiTunesの曲やiPhotoの写真を再びひとつのMacにまとめることができました。
作業がはかどりそうです。
5時間くらい作業しましたので、エリアラボでの感想などは明日にまわします。
ご容赦下さい。

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2009年9月20日 (日)

環境移行のためしばしお待ちを。

19日は盛大にぶっちゃけトークができました。
みなさん、本当にありがとうございました。

さて、その話をアップしたいのですけど、連休中に永眠寸前のPowerBookから上海育ちのMacBook Proへ環境移行しますので、もうしばらくお待ちください。
よろしくお願いします。

2009年9月12日 (土)

テラマチあります。ぶっちゃけスパートしてます。

事務局並びに竹田の関係筋が7月以降図られたかのように稼業に追いまくられている「テラマチあります。」
みなさんのご協力を得ながら、9月23日に一区切りつけるまで残り10日余りまできました。
18日の愛染堂ライトアップを皮切りにテラマチミュージアムとテラマチ画学校を軸に展開してきましたが、事務局と受入れ元はやりくりしながら右往左往で「アート未経験」のたけたにて航海中。

7−9月の企画はやっぱり暑いので大変です。盆まで雨が多くて大変でした。4−6月がいいとあらためて実感しました。
事務局はあるものの、現場へ動けるスタッフのやりくりが大変でした。
会場のメンテナンスなどで、質の維持を図るべく動きたいときに動けないもどかしさ多数(それでも動けた方ですが)。
あらためてBEPPUやコンヨクはスゴイ試みなのが、やるとなおさら実感しますヨ(^^ゞ。
サイドワークから自律しないとと実感しました。卵が先か鶏か先か的な堂々巡りな話しですが、しっかり先を見据えて自律した経営まで視野に入れて行動しないといけないことを痛感しました。
先達の方々は、どうやって運営しているんだろう?メシ食ってんだろう?と不思議に思っています。11月に聴ける機会があるかも?

と言った数々の教訓を得ながらやってきました「テラマチあります。」おかげさまで8月末に大分合同新聞に掲載されたこともあり客足もスローペースで増えてきました。来週には地元テレビの取材も来てくれるとのことです。
テラマチミュージアムのギャラリーをお願いしている先ではお客さんが来られているヨと挨拶する方々で教えていただいています。ありがたいことです。

さて、ご案内の通り、最後のしめで19日19時からエリアラボたけたで開催する「ぶっちゃけトーク」の準備を進めています。14時からギャラリーツアー、19時からぶっちゃけトークの二段構えです。エリアラボたけた(旧セブンスポーツ)はテラマチの隣、竹田本町の大分銀行竹田支店向かいです。

トークでは今回の実験を踏まえて、「アート未体験」なたけたでいろんな立場のひとをお招きして、アーティストとまちのみなさんでぶっちゃけたトークを予定しています。アーティストって何じゃらほい。アートって何じゃらほい。という枕で、江戸時代の文人たちの絵画・詩文・煎茶・香道などなど横断した芸術活動と、今のアーティストのジャンルを超えたプログラムを重ね合わせるかたちで、まちの人に現代のアートを身近にイメージしていただければとひそかに?思っています。

さすがにどこかのように「2012年に向けて動き出します!」とか巻き込むような宣言は。。。無理?とは思いますが、「江戸時代に文人墨客が集い都市文化を築いた故事を再発見して、現在の文人、アーティストが活動する場をどんどん創って楽しみましょう」くらいは言いたいと思います。
足りないところを知ることから、ヨソに学び補っていく動機付けを共有できればいいのですが。。。

とりあえずネタを開陳しておいて、みなさんのお越しをお待ちしています。
大分と熊本の中間にあるお城と城下町のたけたに攻め込みたい方々、歓迎です。
呉三桂よろしく山海関を開けときますので、ぜひかき回してください(^^ゞ

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2009年9月11日 (金)

フォクすけ!foxkeh!

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フォクすけ、3才おめでとう!!
http://foxkeh.jp/blog/4632/

フォクすけ(foxkeh)は、インターネットブラウザーFirefoxの日本発のマスコットです。
Firefoxを愛用するユーザーならおなじみの愛らしいキャラクター。
興味ある方はコチラへ。

2009年9月10日 (木)

業務連絡『歴史史料としての戦国期城郭』

業務連絡です。
2001年に岡寺さんとまとめた『歴史史料としての戦国期城郭』はおかげさまで花書院から出していただいた分はほとんど完売の状態でした。
でも、お引っ越しを念頭にしたわが家の総片づけをしていたらひょっこりとまとまった冊数の預かり分が出てきました。

花書院さんにお返ししていますので、ご希望の方はそちらにご連絡下さい。
さすがに8年も前だといろいろ手直しもみえていますが福岡平野周辺の戦国期城郭の縄張り図を掲載しています。
よろしくお願いします。

2009年9月 8日 (火)

「文書」に記された城と現存する城跡は違うことから考える。

午前中はお仕事のスケジュールの都合で立ちあい、昼間はテラマチあります。の段取り、夕方は県立図書館で資料探しというひとり3役な1日。。。

さてさて、最近そろそろ城跡調査と論考の準備に入っているところです。そんな中で自分なりに考え方の基本姿勢として、現存する城跡は、戦国期や織豊期でも天正年間より遡らないと思っています。逆に下限は可能性だけなら慶長・元和くらいまで下がる可能性を常に意識してみることにしています。つまりは、天正期〜文禄・慶長期には断続的にかなりの手が入ったのではないかと予想して遺構をみることにしているわけです。

ところが、例え目の前に「城跡」が残っていても縄張り図と「俗称」される簡易測量図による資料化よりも「文献調査」で城に関する記述探しを重んじる傾向のある大方の中・近世史研究では、16世紀前半でも15世紀でも文献史料に城という文字があればその時期まで遡るのではないかと考える節があります。それゆえに、城郭研究の中でも文献史学を意識したスタンスでは得てして現状遺構をそのまま古くから機能していてもよいと考える傾向があります。

それらのスタンスについては考え方として拝聴するところがありますが、現存する城跡を文献史料に出てくるから古く評価するのは要注意と思っています。なぜなら、文献史料に出てくる城はあくまでもその時期に「○○城」という施設が機能しただけであり、ある程度参考にはしないといけないとしても、現存する遺構とは必ずしも一致するものではないのが当たり前と思うからです。

しかしながら、近年の歴史学・歴史考古学で語られる城郭像では、発掘調査成果をもとに古くする傾向があります。でも、よくよくみると文献史料にある城郭の記述などから遺物の年代観を評価し、それをあてはめて城跡は古くまで遡ると主張することが多くあります。それは、一見モノからみているようにみえて、文献史料に引っ張られた年代観でしかないと思えてなりません。年代比定の決め手とする陶磁器などの編年は基本的に文献史料の成果を参照することが多いものです。それらの相対評価を複数組み合わせておおよその年代を決めるので複数の編年に照合していても同じこと。もちろんそれなりに文献史料の成果や遺物からの評価も勘案しないといけませんが、文献史料や遺物編年よりも、実際の遺跡を形態分析して得た年代観の方が優れていると考えてよいと思いますし、そうあってしかるべきと思います。

以上の点から、ボクのスタンスでは様々な資料・古文書から得られる見地を取り扱う(最終段階の年代観を探るにはもちろん参照します)としても、基本は現存する城跡が最終段階のことしかわからないと考えることにしています。それぞれの城跡を最終段階のものとして相対評価することで城跡から年代観を固めていく。この線は何があっても譲らない。例え文献史料や遺物編年とかみ合わないとしても。。。

その代わり、文献史料にあるものが必ずしも現存の城跡とは限らないと主張するならば、同時に、現存する城跡にみられる遺構が築かれた段階はいつなのか?何が画期なのか?そして、それ以前(文献史料からわかる16世紀半ば以前)はどんな形状をしていたと考えられるのか?という回答を用意しないといけないと考えています。これについては、「わからないものはどうしようもない」と言わざるを得ないかもしれない難しい問いとは思いますが、やらないのは批判ばかりでフェアとは言えないのでちょっとこだわりながら考えを深めてみようと思っています。

感覚的には、戦国期から織豊期・近世城郭と続く築城ラッシュは永禄末期〜元亀が画期で現存の遺構は大半が天正期以降の造作と予見してみるようにしています。今、中国地方の戦国期城郭もみているところですが、だいたい1560年代後半から70年代前半に萌芽的な段階があり、70年代後半〜80年代に一気に展開したのではないかと予想して評価軸を考えているところです。
それから、多少の地域性はあるとして、その画期はどういった要因なのか?何が変わるのか?なぜその時期に縄張り技術が展開し技巧的なプランがあちこちに生み出されたのか?などをどうやって示したら、何を以て証明したらよいのか悩んでいるところ。

この疑問を解決すべく、幾つかの城跡に当たりをつけてあちこちにある当時の人たち「痕跡」を探りながらその辺の課題に取り組めたらと思う次第です。。なんとかライフワークにできないかな?

Foxkeh! フォクすけ!


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