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2009年5月 9日 (土)

美作加茂の高山城へ。

9日はとんぼ返りで参加した登山会にて、岡山県の北部、津山市加茂町の高山(矢筈)城山頂に到達!
中国山地のど真ん中、向こうは鳥取県ですよ(^^ゞ ちなみに写真の背後は崖。眼下の谷は阿波村です。

8日の夜にたけたを発って、9日0時4分に到着。
朝にヨメさんの車で加茂町まで。中世史研究者のMさんと1週間ぶりにお会いし、地元の案内されるKさんの車で知和駅まで乗せていただきました。そこで、津山市郷土博物館のIさんご担当の登山会に同行してきました。

高山城はいわゆる矢筈城と呼ばれる草苅氏のお城。これまで池田誠さんの図面がありましたのでこれがどこまでいけるか踏査してきました。桝形虎口や石垣、烽火台などがあるのですがボクにはどうしてもそうはみえない。2つの峰に曲輪が並ぶ一城別郭型の戦国期城郭と言うのがボクの感想です。

手前の峰の主郭部には写真のように石垣がみられます。しかし、それ以外の大半は露出した岩盤の節理したもの。逆に曲輪に沿っての堀切と横堀、そして土塁などは十分に評価すべきものでした。とにかく城域が広い、そして曲輪の削平が良い。その一方で、織豊系縄張り技術の特徴は皆無に近いものでした。ですので、結論としては戦国期末期にこの地に進出した毛利氏が手を加えて改修した戦国期城郭と考えました。その点ならば毛利氏系城郭の到達点と言う池田さんの見立ては間違いないけど、毛利氏はそれほど技巧的な戦国期城郭を築いたかと言うと「?」な印象です。この辺は大先輩と議論が分かれるところです。

また、高山城は従来、草苅氏の持城とされてきましたが、おそらく草苅景継・重継は毛利氏により改修された拠点城郭を預った城代のような立場だったと思われます。この谷を抑えたとされる草苅氏だけではあまりに城域が広く、むしろ美作と因幡をつなぐ軍事拠点として駐屯軍が派遣されるなどの広域作戦に適した城郭と思われました。

などのことを踏まえてMさんとKさん相手に髙山城の縄張りについて山上でいろいろ語ってきました。帰りは河井方面に下山。14時に美作河井駅にたどり着きました。
スローライフ列車に乗れずに、ヨメさんに来てもらって拾ってもらいました。
ちなみに9日23時40分にはたけたに戻ってました。

一見すると、道楽と言われるような所業です。
いえいえ、これは、29日に医王山城登山会でお会いした加茂町のKさんからお誘いいただいたので、これを逃しては高山城が確認できない、と気合いを入れてのとんぼ返りの遠征。ちゃんと本業の一環です。

ちなみに、この草苅氏の分家が岡藩草刈氏です。ちゃんと関係してるのですよ。経費は全て手弁当だけど(^^ゞ

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