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2009年4月29日 (水)

医王山城登山会に参加しました。

4月29日は、津山市吉見の医王山城登山会に参加してきました。
津山市方面では、中世城郭の保存会があちこちにあって美作の中世山城連絡協議会という組織があります。
その内の、医王山城跡保存会による登山会に、美作をフィールドとする中世史研究者M&Mさんのお誘いで参加してきました。
医王山城は、近年の台風などで登山道が崩壊したりと大変だったようですが、新たに登山道をこしらえ風倒木の除去や伐採など積極的な活動をされています。今年は二の丸・三の丸と呼ばれる畝状空堀群のある尾根筋方向の曲輪群の風倒木を取り払い伐採をしたようです。

おかげで、極めてアプローチの良い山城となっています。また、三の丸隅に石垣の根石列を見つけ出してくれていました。
当日は好天に恵まれ、130人(会の発表では150人だそうで)が医王山城跡に登りました。
文献では毛利方が宇喜多氏相手に大籠城戦をしたことで著名なようですが、規模としては山頂部に常時これくらいの人數が籠るのに適した大きさにみえます。遺構として残る規模ならば神楽尾城(文献ではあっさり落城したとされる毛利方の城)や高山城の方が大きい。
医王山城では全体では2〜300名くらいか。もっとも、臨戦態勢では集まった動員兵力に合わせてあちこち立て籠るので遺構からみた規模で判断するのをひとつの尺度としておきます。

医王山城はこれまで1985年の八巻孝夫さんによる縄張り図(『中世城郭事典』掲載)がありますが、それ以降25年近く縄張り図は作成されていないようです。今回、あらためて現地をみてみますと、主郭部にある石塁は図面では開口部へ向けてハの字に狭まっていますが実際は折れをともなう鉤型の桝形虎口となっていました。石垣列からも確認できます。そこから二の丸・三の丸への通路に向けてわずかながら高まりや石列が残っており、連続した桝形虎口が確認できました。
三の丸と呼ばれる別郭でも既に図化されている石列に加えて、今回伐採で確認された石垣列とあわせて桝形虎口が確認できました。

八巻さんの図は、往時は笹藪だらけだった医王山城を関東から遠征しての確認調査でしたので当時の研究水準からみても十分な成果として意義があります。問題はそれから25年経ってきちんとした確認調査が進んでいない点にあります。
今日の城郭研究の成果を加味した新たな図面を作成する必要があります。そうした点を踏まえると12月にも矢筈城シンポで申したように悉皆調査の計画が待たれるところです。

地元の方々に医王山城の位置付けと、今回確認した部分を意識して保全するようにお願いしてきました。

医王山城は毛利方の立て籠った城郭として著名(もちろん畝状空堀群などはそれらの時代のもの)ですが、遺構をみる限り、最終段階ではそれ以降の可能性も考えないといけないと思います。
はじめての美作の中世山城攻めでしたが、なかなかの収穫でした。ホントにここは天正前半期の戦国期城郭と織豊系城郭を学ぶのにいい地域です。

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