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2009年2月23日 (月)

武蔵滝山城を見学する。

P1000746 23日は天候が悪かったのですが、せっかく関東まできたので延泊して縄張り研究者のNさんにご案内いただいて、八王子市にある北条氏照の城、滝山城跡を見学してきました。

草の枯れている冬がいい状態でみれますので、この機会を逃しては!としてご案内いただくことで、「後北条氏系城郭」の真髄を実際この目で見ることができました。
アートのミーティングのあと、歴史研究について意見交換して、そのつぎは城郭研究者として城跡現地踏査とつづく東京遠征。

滝山城は交通の便が極めてよい。京王八王子からバスが1時間に2本以上あるという恵まれた条件。しかもアプローチも容易。こんな身近に後北条氏の縄張り技術を堪能することができる事例があるのは実にすばらしい限り。

Nさんの縄張り図と説明をうけながら3時間半ほど歩き回りました。主郭から馬出しや桝形虎口、そして馬出しも馬出しの連発で城域を構成するつくりや、桝形虎口も馬出しと組み合わせた内桝形虎口や谷へ下るつづら折りな連続桝形虎口など、横堀に土塁に、まあこれだけ使いこなすものだなあと感心しました。まさに百聞は一見に如かず。

築城主体の発想が、横堀で城域を仕切ることに対応して、通路を如何に設定し防禦するか、通路に沿って防禦空間となる馬出しや曲輪空間を重ねて如何に城域を組み立てるかをひとつの基本となる「発想」がベースにあることを実際の遺構から読み取ることができました。また、Nさんとディスカッションしながら歩くので本当に勉強になりました。

滝山城の縄張りに後北条氏の縄張り技術の基本的意識がはっきりみえることを思えば、昨今、「後北条氏オリジナルの城郭技術は見当たらない」って論調がどうして言えるものかなあ。と思うことしきり。
いろんな南関東辺りの城郭をみているのに後北条氏の築城技術に消極的評価が導き出せる感性はちょっと信じられない感じがしてます。(逆に縄張り屋さんの方には後北条氏オリジナルの縄張り技術がココにあるじゃないか、と叫びたくなるような気分。通路空間を使いこなし、通路空間が橋頭堡となる後北条氏の基本意識がみえていると思います。千田嘉博氏のような二次的要素をあえて捨てて理念を抽出する作業ができるのでは?)

こちらとしては、近畿・西国の織豊系城郭と九州の在地系城郭ばかり見慣れてきたものですので、あらためて関東の北条氏の城郭を知ることで、とてもいい比較検討ができたことが収穫でした。近い発想と似て非なる発想がみえる後北条氏と織豊政権の城を考えると、後北条氏の縄張り技術はもうひとつの系統を生み出しているのだなあと思う次第。

小雨でしたが、相模より分倍河原まで出陣してご加勢の上、ご同行いただきましたNさんには感謝しますです、はい。

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コメント

いや、むしろ「これが後北条氏オリジナルの築城技術だ!」とずばっと言ってくれればそれで済む話なんですけど、誰も答えてくれないんですよ…これとこれがこうあると後北条氏だ!とか、「後北条氏の縄張技術の基本的意識」をわかりやすく教えて下さればそれでおしまいなんです…そうすれば、その技術が施されている名も無き城の年代比定も簡単にできるはず…。昔は「角馬出」とか「比高二重土塁」とか云われてましたけど…夏のセミナーに期待します。
それに、今まで消極的評価ないし軽視をされてきたのは、むしろ後北条氏以前の築城技術の方ではないでしょうか…

こんにちは。

そうそう、そうなんです。今回ボクが滝山城へ行こうと思ったのもまさにそれです。
ボクもわからなかったのですよ。
実際行ってみて、なんだ、後北条氏の城郭があるじゃないか。という感慨がありました。昔から城郭を扱ってきた方々はこれがみえないの?と僭越ながら思った次第。もしかしたらボクの思い違いかもしれませんが。

腰をすえてやったら竹さんへの回答ができると思いました。

ここを抑えれば、後北条氏以前の戦争がどうだったかはみえてくると思います。積極的な評価へつなげることができるかと。
つぎは、後北条氏以外の城郭や上杉氏時代?と思う「陣」跡の例をこの目でみてみたいと思いました。

いいところがありましたら、ご教示ください。

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