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2009年1月31日 (土)

小さな学校で、大きな歴史のレクチャー

30日はお仕事の延長で、某小学校に出講して45分×2コマの社会科で歴史のお話してきました。
今まで一番「若い」人たちにおしゃべりしましたね(^^ゞ
6年生の社会科の教科書を仕入れて(これが面白い)、入念な準備。使えることばがわかりませんから。

小さな小学校の6年生は10人にも満たない。
しかし、周りは古代以来の地名を伝え、南北朝時代以来の歴史が風景や記憶として続いてきた村落。
500年前の古文書に出てくる地名が子供たちの住む地名として今でも残る、これ以上の教材はありません。
それを伝える、気付かせる、その日から周りの風景が違ってみえたらよいなあという試み。
大人相手でも使える資料を用意しましたが、6年生だとうまく翻訳すれば十分使えますね(^^ゞ

そんな試みには10人くらいのクラスが最適。
昔、教員のOBさんが全科研ポピーとかを使って小さな塾を開いていたような規模。まあ、寺小屋規模というか。
都会の20−30人クラスではできない濃密な「レクチャー」でした。
小さな学校の方が実はマンツーマンで先端的な教育なのかも?

後半は、事前に依頼をお願いしていた近くの旧家を訪問。ホンモノの資料に子供たちはびっくり。
そして家の歴史を語る古老の話しをじっくり聴いてました。
私の拙いレクチャーはいざ知らず、対話とホンモノの強さを知った興味深いレクチャーでした。


まあ、ボクも経験不足な面もあり、時間配分やどこまで伝わったか冷や汗(..ゞアセ ものでしたがいい経験になりました。
今後の糧にしたいですし、プログラムとしてうまくいくよう工夫したいものです。

なお、今回、使わせていただいた成果は別府大学飯沼研究室の環境歴史学に基づく大野川上流域の調査報告書。
以前に竹田市から豊後大野市にかけて何箇所かで地名、水利慣行などの聴取り調査などから中世的景観を復元した成果です。
学生を引連れての研究室単独の調査だったので、ホントはボクも関わりたかったのですが仕事もあってできなかったもの。報告書はいただけましたけど。

竹田市のその筋でも、中山間地域の歴史的景観を調べた別府大学の調査成果は知られていないのですが実に有益な成果です。
なかなか活用する機会がなかった中で、今回の小学校からのオファーがあったので小学生のテキストに活用させていただきました。
地名はホントに地域理解には最適の教材でした!

こういうかたちで学生を引連れて組織的に関わっていただく大学研究室の調査とはいいおつき合いをしたいものです(^^ゞ

2009年1月29日 (木)

考古学ハンドブックスをみてみた

さて、中世考古学と言うか、歴史考古学をかいま見るシリーズ。

で。城郭研究では、新人物往来社の『城館調査ハンドブックス』(似たようなタイトルがあるが縄張り調査ならコレ)というものがあるが、ならマイブンな世界は?と思ってマイブン系の調査方法についてテキストとして読んでみたのが、雄山閣の『考古学ハンドブックス』。。。。

ひとめみて。。。唖然(´д`;
その他のところに中世の城館址があって、たった2〜3ページ程度。それも城下町とかそんなのといっしょ。1993年段階で縄張りとかの概念もないのです。『築城記』の記述ははいっていましたが。。。うーむ。

いや、ダメダメ、素人さんがそんな本みてては、他にいいハンドブックがあるから。という方、よろしければご教示下さい(^^ゞ
ちなみに縄張り調査は一般調査なんでしょうか。

2009年1月26日 (月)

春節

謹賀新年!!
歳々平安日、年々如意春!! (・ω・)ノ

平成 己丑 年 / 2009年

今年も福が授かりますように(^人^)。

P1110874ほぼ日でも言っているようですけど、日本人なら太陰暦の「お正月」 ダレだ旧正月なんて言ってるのは?
陰暦正月三日間を祝日にしませんか?
サマータイムとかで「二等欧米人」するよりも、五節句を陰暦にするのが「日本人」の季節感や伝統にあってますヨ。

あらためて、今年は新たなチャレンジをどんどんしていきます。
よろしくご理解・ご支援のほどをお願いいたします。読者のみなさま(._.)オジギ

2009年1月20日 (火)

考古学のおさらい

週末から週明けはBEPPU PROJECTへ行ったり、テラマチの打ち合わせなどしてましたが、館詰め生活と縁のない普段の時間の中でやりくりしながら、仕事(初めての試みで「課外授業」します。どきどき。)と平行してちゃんと本業もやってますよ。

ということで、年明けから重点的にしていた、中世考古学の学史と基礎的な概念のおさらいは終了。
資料論と史料学についてあれこれと。けっこうクリアになりました。
いきおいで90年代初頭の帝京大学山梨文化財研究所の中世史研究と考古学のシンポジウムなどもおさらい。
この辺の基礎文献を収集して若干、散財(^^ゞ やっぱり石井進氏の業績はいろんな意味でスゴイの一言です。

それと平行して2月のシンポジウムの準備と原稿(ノ_<)。かつての大ポカ以来どこまでできるか楽しみですし、がんばります。

さて、いよいよ佳境に入っていきます。生きて屍拾うものなし。生きて屍拾うものなし。
早く終わらせて、お城の縄張り調査がしたいものです。

2009年1月19日 (月)

プラットフォーム

BEPPU PROJECTが関わっている事業の中でも、これはスゴイと思っているのがPlatform。
17日の午前中は、その見学会に参加してきました。
商店街の空き店舗を廉価で提供していただき、最低限のコストでリフォームして提供する
中心市街地リノベーション構想「platform制作事業」
現在、稼働しているのが4箇所。計画進行中が3箇所。これからの予定箇所も含めて見学。
これこそ、国際芸術フェスティバルを含めて、多彩な活動の「こうさてん」あるいは「媒介者」たる、BEPPU PROJECTの真骨頂と思っています。

流川通りにあるPlatformは、8月-9月に貸間2008の会場のひとつでしたが、そのときのラクテンチはまちなかの高齢者を対象とした介護などの情報を扱うおしゃれなカフェに変身していました。大分大学との連携事業で経営を委託しているとのこと。
さっそく名刺交換してきました。こういう事例はたけたに持ち帰りたいですね(同じ大分大学でもこういったところと連携したいものです)。

今回の「こうさてん」会場となったPlatformは、ひとつはダンススタジオ、向こう隣りは3世代交流型ステーションへ変わるとのこと。スタジオと交流拠点が道を挟んで向かい合う連動するあり方も、単なるチャレンジショップでないPlatformのあり方。
これを媒介にして既存の店舗をまきこんで人の流れができることがねらいとみえます。
他におそろしく渋い長屋を耐震設計の見直しからリフォームして、「コンヨク」のアーティストレジデンスに活用するものも案内していただきました。こういった仕組みづくりは多いに参考になります。

そもそも、地方都市や商店街のリフォームで一番問題なのは「塩漬け」になった不動産をどうやって借り受けてどうやってリノベーション するか、それを誰が担ってどう企画するかにつきるからです。実に大変です。この仕組みを読んで提案できないと、あちこちで失敗したチャレンジショップ事業 ができてしまいます。それを新たな店舗を入れるとか、空いているスペースを何かギャラリーにとか、シャッターにアートをとか言う発想とは異なる「思想」でみせているからこそ、platformがスゴイわけです。

空き店舗を借り受けて、Platformをこしらえ、そこで行う企画をアートカウンシルなどから持ち込み「空間」で演じて魅せる、そして、次の利用者へその空間の橋渡しをする、そうした役割にアートの世界が関与する、こういった創造の仕組みを担うことも、アートNPOの社会的地位を得るために欠かせない役割と痛感した次第です。
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エコのはじまり

P1000050 19日は休日といってもいろんな打ち合わせ各種。オンもオフもありません(^^ゞ

朝から「テラマチ」の打ち合わせ。「テラマチあります」7-9月へ向けて煮詰めていきます。
まずは2月の第1ラウンドまでにあれこれと。
そんでもって、午後から某定例会にて「テラマチやります。よろしく。」とアナウンスしてきました。

食とツーリズムのイノベーションが続くこのまちに、アート&ヒストリーな「エコ」もつながっていけるか試される気持ち。どきどき(´・ω・`)


 

2009年1月17日 (土)

混浴温泉世界へのいざない。

Ph ということで、朝から別府へご訪問。
別府のソルパセオ商店街であった「こうさてん」という企画の中に、BEPPU PROJECTが公開打ち合わせ会を入れていたので、ごあいさつを兼ねて行きました。

既に8月の段階で、「はじまってるよ」という、BEPPU PROJECTの現代芸術フェスティバル「コンヨク」こと「混浴温泉世界」ブログ

2009年4月11日〜6月14日 まで。別府市を舞台に「現代芸術フェスティバル」が開催されます。大分界隈では2002年の「アート循環系サイト」以来の大型国際アートフェスです。

公開打ち合わせを見学してきましたが、そろそろ3ヶ月をきってあわただしさを感じる雰囲気でしたが、人材に恵まれており、多少の齟齬は愛嬌として、すばらしいアートフェスになると思います、ホントに必見。
乗り遅れるとかなりもったいないゾ。

詳細は、まもなくプレスリリースされるとのこと。
乞うご期待。

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2009年1月16日 (金)

アート・ミーツ・タケタン

ということで、過日の吉報は、アート・ミーツ・タケタン。
かつて、まちおこし事業で名を馳せた岡の里事業、アートイノベーション実験プログラムで久々の全国区に登場です(・ω・)ノ

仕事よりも仕事な、これからのたけたのためのプロジェクトです。ホント、理解のある会長に恵まれててよかった、よね。

3年越しの第1歩が実現。応募を勧めていただいたベップには足を向けて寝ることができません。
さあ、これから大変、大変。
まずはプランを固めないと(..ゞアセ


ちなみに、2009年の九州はアートシーンがあれこれ。
4月〜6月は別府でBEPPU PROJECTによるアートフェスティバル『コンヨク』が開催。オーイタ界隈では今や「伝説」?の2002年の『アート循環系サイト』以来のアートフェス、必見。
混浴
blog http://mbw2009.beppuproject.com/  混浴婦人部blog http://konyokufujin.blogspot.com/

で、10月には北キューで北九州国際ビエンナーレ、テーマは「移民」。CCAがある北キュー、これも必見。
KBサポーターブログ http://kbsupport.a-i-k.jp/

そんな九州の片隅に、たけたも参加。。。となるんでしょうか?


2009年1月12日 (月)

中世史研究と考古学のコラボな時代。

てなことで、中世考古学では、寺院と城館と都市・集落が主要な対象として挙げられることが多いので、そのインパクトがでかいらしい城館・都市の研究史をいろいろ物色。
あらためて、80年代後半から90年代にかけて、網野善彦氏らと共に多数のシンポ・著作・シリーズを企画された石井進氏のやられたことの大きさを、今さらながらですけど痛感しましたです。さまざまに胎動してきた研究成果が出そろって今の史跡整備のカタチが一気に花開いた感がありますものね。

ひとつは、70年代後半から、あちこちで活発化した中世遺跡の発掘とそれらの成果を得ることで独自領域の「自律化」を模索していた中世考古学に対して、歴史学の側から「学際的」というアプローチでシンポや著作・シリーズものなどを通して編成したこと。

次に、そうした出版物や活動を通して、中世史研究の側から、中世遺跡の重要性と保全・整備を広く啓蒙したこと。

さらに、主に「畿内」ではない地方自治体を舞台に、中世遺跡の史跡整備事業というかたちで、歴史学研究者側がイニシアティブを取りさまざまな実践と国庫補助付きの「公共事業」を行う文化財行政の手法を中世史研究に導入したこと。

等々。そうした動きの中心軸に常にいたんですから、すごいものです。
と、同時に、こうした一連の動きについては、そろそろ総括してもいいんではないでしょうか、と思いました。

学際的研究のもとで参加してきた中世史や考古学分野、文化財の方々が、そろそろ定年近くを迎える時代でもありますし、中世史研究から中世考古学などの学際的連携が何をもたらしどういった作用を及ぼしたのか、また、これまでの各地の事例から何が得られ、何が得られなかったか、などなど。こうした一連の流れについて「客観的に」位置付けておく意義があるのではないでしょうか。そうした整理は、次の世代のためにも大事だと思った次第。また、今後どういった方向へ進むべきか、整備した史跡をどうしていくのかを含めて、ひとつのテーマになると思います。


ついでに、城郭研究者の側からみると、この時代は、中世史研究と考古学のコラボによる城館跡の史跡整備というカタチで城郭研究には大きな影響を与えたけれども、「掘ら(れ)ない考古学」な多くの城郭研究者には、結局縁遠い存在でしかなかったことについても、あらためて考えてみたいと思ったりしました。この80年代後半から90年代にかけての中世史研究と考古学の二人三脚な展開について、その胎動期からの流れをあらためて見直してみたいものです。

ちなみに、石井進さんが大分府内の南蛮都市シンポに来られたときに「府内を南蛮都市とするなら、他の九州の中世港湾都市は南蛮都市にはならないんですか?」とアホな質問したのはわたしです(^^ゞ。

2009年1月 9日 (金)

城郭研究と、城館の考古学

1月の第1週は、県立図書館へ通って、日本中近世の考古学について研究史や状況を文献でリサーチ。

縄張り調査などをもとに城郭研究をしていると、城館跡の埋蔵文化財を扱われる考古学の方々、いわゆる「歴史考古学」や「中世考古学」の業界との議論や関わり方について、考えさせられることがしばしばあります。
そういったこともあり、城館の考古学を含む中世の考古学について、前川要氏の『都市考古学の研究』から手がかりに文献をあさって研究史をみてみたら、元々の先史時代の考古学に対して、古代より新しい中世の考古学自体が70年代以降に急速に発達した分野とのこと。
となると、70年代後半から80年代にかけて、方法論が整備され、全国各地で城郭研究者が調査を行い、そして全国城郭研究者セミナーで議論してきた城郭研究(縄張り研究)の歩みとあんまり変わらない印象を受けました。

これまで、城館跡について「掘らないとわからない」とか『縄張り図は客観的じゃない」とか何だ言われてきましたけど、城館の考古学を含む歴史考古学だって、こちらとほぼ同じ歩みをみせてきた70年代以降の新領域。結局、大学や教委に属さない「掘らない(法律的に掘れない)」フリーランスで在野で居続けた城郭研究者に対して、中世考古学の研究者は70年代後半からの開発行為の増加や80年代後半の財政的に余裕のあった自治体の事業で調査事例が増え、大学や教委に属し国庫補助などによる発掘や整備事業の担当者として活躍の場を得たことで大きな違いが生まれたようです。 

城館跡の限られた面の調査を公共事業として中世考古学研究者が行っている間、縄張り屋はずーっと手弁当で、あちらの山城、こちらの丘城を調査して全体像を把握する縄張り図を作成しつづけてきた。そうした蓄積があるのに、城郭研究者は「科学的でない」「肩書きがない」、そして出張させてもらえない(笑)ということで悉皆調査や城郭の整備事業などの「公共事業」ではオブザーバー的立場に甘んじ、結局、城郭研究者のほとんどは「土・日の研究者」のままで、城の発掘・整備で事例を重ねた方に偏って「お城の専門家」となっているのが現状かと、感慨深いものがありました。

 
何だか、今まで文化財行政には謙虚に応えようとしてきたんですけど、結局、城郭研究者と城館の考古学など中世考古学の違いは、発掘と整備という自治体=「公共事業」にコミットできたかどうかの差だったのかなという気がしてきました(^^ゞ。 

とあれ、研究史的には、歴史考古学の分野もようやく最初の世代が定年なり地位を得てきたくらいなのですね。いろいろ過去の書籍をみてみると、70年代以降の代表的な成果が出てきたのが80年代末。ちょうど「学際的」と言われ、中世遺跡の書籍やシンポが開かれ、ここに城郭研究者も招かれるようになった、そんな時代。その辺から、文献史学研究者がイニシアティブを取り中世考古学研究者と調査事例や資金確保をコラボするかたちで、書籍や報告書、各種シンポ記録も出てきました。その辺で立ち回りが下手だったのか>城郭研究者。

ということで、あらためてその辺から今までの間の中・近世城館の代表的な成果について集めてみたいと思いましたです。

Foxkeh! フォクすけ!


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