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2008年7月31日 (木)

夏まつりの前日

31日は月末。
この日は、キリシタン研究の大御所、G先生がたけたにいらっしゃった。ので案内する。
サンチアゴの鐘をみていただく。3日前に展示ケースを改修していてよかったです。

ケース改修をおねがいした方は、アートマネジメント学会でお会いしたご縁の方。
小さなスケールの館にあったリーズナブルな仕事をしていただきました。
たけたというブランドとこちらの考え方に応えてくださり、多謝。
こうしたつながりは、さんぬる方々では無理だろうね。

常に広く視野を持ち現場に行ってお会いする中で、いろいろと人のつながりはつながっていくのです。
ありがたい次第。
とは言え、あまり活用されない仕事場を片づけてから、豊後竹田駅を17:52に伊勢へ向けて出発。

以前は寝台列車があったので翌朝7時半に関西方面で集合といっても余裕で行けました。
しかし、今では前泊しないと午前中に関西方面で待ち合わせができなくなりました。
便利になったね、JR西日本さん(愚)
なので、津山のお家に立ち寄ってから早朝、姫新線で関西入り。
24:10に津山到着ながら18キップを組み合せたので亀甲で下車して迎えにきてもらう。
翌朝は4:57です。


2008年7月30日 (水)

まちのブランド力・文化力。

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最近面白かったのは。
別府でお会いしたクールな現代アートユニットの「チャン・ヨンへ重工業」の作品をウェブでみたら、BGMがジャズアレンジな『荒城の月』だったこと。
http://www.yhchang.com/ でNIPPONをクリック!(音出るよ)。ちなみにAOMORI AMORI(アオモリ・アモーリ)もgoodです。
なんてこった。予習していれば本人たちに「荒城の月のまちから来た」と言えたのに、残念。

そんで、行けなかったんだけど週末にCCA北九州であったしろくまさんな『24時間映画祭』のみくしのリアルタイム実況みてたら、チームのひとつに「守り神」で姫だるまの写った写真がアップされてて大笑い。
なんてこった。そんなアイテムなのか、あいつは。
高崎だるまとお見合いしただけじゃなかったのか。

コンテンポラリーな人たちにもアイテムが愛される、たけたって看板はなかなかにつかえるもんだとあらためて実感しました。
いろいろ集めて、ネタに遊んでみようかと思いました。

で、そのCCAのTシャツ届きました。なかなかプリティ。

ちょっとニューウェーブ入ってない?と北キューの方に尋ねてみたら、向こうでもニューウェーブの応援に使えるねって。(^^ゞ
この色、世界に冠たる現代アートセンター、CCA北九州のカラーのようです。
北キューの方は着こなして「レトロからコンテンポラリーまで突っ走るクリエイティブ・シティ」で。

ちなみに、明治(門司港駅前)から近代(折尾駅前・戸畑駅前)を経てモダニズムと近未来(八幡駅前・小倉駅前)までそろっている大都市ってそうそうないです。産業革命から情報革命まで都市はイノベーションを続けているところってそうそうない。

20世紀初頭のテクノロ ジーが鉄鋼(なかなか質のいいのができるのには時間かかったみたいだけどね)で、21世紀初頭のテクノロジーは空間デザインとアートとそれを支えるインターネットやウェラブルな技術体系(うまい表現が思いつかない)かな。両方を見据えて都市の文脈を読んだプレゼン&コーディネートできるとおもしろいプレゼンのできる都市だと思うんだけどね。

2008年7月26日 (土)

「混浴温泉世界」has already started!!

文法まちがえてたらごめんなさい(^^ゞ
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Beppu projectが2009年4-6月に開催する『混浴温泉世界』
25日は、そのレクチャーズvol.3に参加してきました。
プロデューサーの芹沢高志氏とソウルを拠点とする世界的アーティストユニット「チャン・ヨンへ・ヘビィ・インダストリーズ(
YOUNG-HAE CHANG HEAVY INDUSTRIES)」のトークセッション。
チャンヨンへ重工業さんたちは、週末を使って別府入りして制作のための下見と取材なんだそうです。

日本語と英語が飛び交う?インタナショナルな環境が仕事を終えて90分向こう側にあるとはおそるべし。というか当たり前のように世界的なアーティストが目の前でセッションしてるという光景にちと面食らうって言うかうれしいわ(・ω・)。。
学生が多くてとってもラボらしい(15年若ければ!)なうらあましい環境でのトークセッション。とても勉強になりました。
何か、たけたっていいとこね。一見アートと無縁そうだけど、熊本でも別府でも世界と直結していてすぐにアクセスできるんだから。

芹沢さんのコメント※からうろ覚えでボクの頭にインプットされたのは、
「現代アートはアーティストとわたしたちが同時代を生きて共有できることに意味がある。」ことと、
「会期は来年だけども、もう既に混浴温泉世界ははじまっている」ということ。
※ちゃんとした芹沢さんのコンセプトはこちらで。

なるほど!(・ω・)ノ
どっかの大都市では、優秀な方々は「現代アートでは客が入らない」とのたまっているそうですが、現代アートは会期中だけが展覧会ではなくて、会期までのさまざまなレクチャーやレジデンスを含めた過程そのものもエキシビジョンであり、それにも参加してナンボということらしい。なので開催前からの企画も入場者数としてカウントせねば不公平。

当たり前といえば当たり前だけど、現代アート特有のイベントっぽい体裁に目を奪われるばかりで、オーソドックスな「美術展覧会」と国際的潮流のアートの「展覧会」ではそこが違うのに気付きませんでした。(その意味では、展覧会前の企画段階な状態を積み上げていく段階でのセッションを如何に人々に広く周知させるか、セッションでも収益をあげられるかが課題となりますね。ウェブはライブ的なものには役立つのでどう使うのかも重要な実験と言えます。)
盲点でした。。。不勉強でした。

なので、水に浮かぶ、ならぬ「混浴温泉世界」に浸かるには、今から乗り遅れないように、急いで急いで(おかはち口調)

2008年7月21日 (月)

上半期にしたこと。

思えば、昨年の11月に年季奉公が明けまして、それから上半期までにやったことと言えば。。。
備忘録代わりに某高城さんの真似してみよう(^^ゞ

郷土出版社の『福岡・糸島・糟屋・宗像の歴史』に福岡地方史研究会の関係で恐れ多くも編者として参加。これまた恐れ多くも諸先輩方をさしおいて戦国期博多のことなどを書く。いい勉強になったけど某市博には行けない。。。ドタバタのウチに2月に刊行。
S町史の戦国期城郭についても書きました。昨年に出したのがひどい文章だったのを大幅修正しました、すみません。。。うまく治っているといいけど。今年には出るのかな。
そして、豊後岡城に関する小さいけど大きな一歩となる論文1本を別府大の『史学論叢』へ掲載、3月末に出ました。
また、大友氏領国の小さい論文を大友氏研究会の枠で『戦国大名大友氏と豊後府内』に掲載、7月に刊行しました。
そして、ただいま、お城屋さんの本2つに参加中(^^ゞ

城郭史講座はT市で12月から4月までマラソンのごとく5回連続講座を毎月(^^ゞ。
で、城郭の講義は4月に津山市で1回、中近世城郭のイロハについてと津山城とちょびっと。岡山県生涯学習大学で記録的な参加者に恵まれました、W氏のおかげです、多謝。
それと7月に柳川市で1回、柳川城の縄張りについて。これも通常より多数60名以上の来客。市教委のみなさんのおかげです、多謝。
縄張りからみた城郭講座は勉強になりますので、程々にいつでもしますのでよろしくお願いします。

それしながら論文を執筆中。。。(^^ゞ
試練のごとくいろんな用事を抱えながらの執筆ですが、いろいろ集まるときは集まるんですかね。。。(ノ_・。)

出かけたところ。
沖縄(那覇とか本島南部)・長崎市・有馬(南島原)・福岡・小倉・八幡・柳川・熊本・八代・津山・美作・備中高梁・笠岡・大阪(中津界隈)・京都(嵐山と三条、五条界隈) 大阪・岡山・大分の間に収まってますね(笑)

歩いて写真を撮ったり、見学したり、城郭研究の調査もバシバシやりました。
二条城、福岡城、小倉城、中津城、原城、日野江城、朝日嶽城(佐伯市宇目町)、安岐城(国東市)、岩門城(那珂川町)などなど。
グスクが台風で行けなかったのが心残り。

この間に、歴史系はもちろんクリエイティブな人たちと多く出会うことが出来ました。
文化活動のアートNPOがらみの講座にも4回ほど参加しました。市民協働の勉強になりました。

美術館・博物館もちょこちょこ。
沖縄県博&県美、九国博、CAMK、長崎歴博、長崎県美、福岡市美、笠岡、京国博などなど。。。大分県内行ってないなあ。。。(..ゞアセ

観たサッカーの試合4試合、少なすぎます。。。(ノ_・。) プロ野球はゼロ。。。(ノ_・。)
セレッソ2試合1勝1敗。鳥栖覚えてろぉおお。湯郷ベル1試合1勝。後は鳥栖×横浜FC。ここんとこJ1みてないなあ。。。

うーん、あんまりかっこよくないですね。。。
何やってるんですかね、私。
まあ、城郭研究と歴史、ついでにアートという絞り込みはできてきたな。涼しくなったら踏査再開です。

2008年7月13日 (日)

『戦国大名大友氏と豊後府内』

Sengokudaimyo 鹿毛敏夫さんの大友氏研究会に参加していたご縁で、氏編著の『戦国大名大友氏と豊後府内』(高志書院)に縄張り論で参加しました。
7月刊行で、11日に本が届きました。

8500円+税ですけど、今の大友氏研究がわかる一冊になっています。近年三重野誠さん、鹿毛敏夫さんが出されるまではかつての黄金時代以後は長い間大友氏研究の研究本はありませんでしたので、買って損はないです、多分。
高志書院は東日本の研究者で出す傾向があるんですが、今回は九州の研究者だけのめずらしい?ラインナップです。

拙稿は「戦国期城郭の縄張構造と大友氏領国」です。《大友氏の領国支配と九州》というカテゴリーに入っています。
年度末のひさん?な状況で泣きながら書いた代物です。。。つまらないものですがよろしゅう(^^ゞ

2008年7月12日 (土)

縄張りからみた柳川城とその時代

というタイトルで、12日は柳川市三橋公民館で話してきました。
お城がテーマということか、想定していた60人以上の参加者で盛況でした。多謝です(*´∀`*)。

90分をオーバーしましたが何とか収める(..ゞアセ。
前半は、城跡を理解するのには、城の平面プランというかかたちである「縄張り」を知ると面白いことを説明してから、戦国期城郭から織豊期・近世城郭までを概念的に把握してもらうのに充てる。
休憩後、後半は近世柳川城の縄張りについて、柳川市史編さん室が刊行した地図編の城絵図を用いて説明しました。

市街地化している上に平野でありみわたせないこともあって、近世柳川城をまちなかで意識することはあんまりありません。
しかし、空撮するとお城の原形はしっかりと残っています。川下りのクリークがお城の水堀ですし地割もけっこう残っています。
城絵図を片手にクリークを目印に城跡から城下町までウォークしてもらえればと思いながら話しました。

一見すると特徴のないように映る近世柳川城は『馬出し」がわかれば当時の最新トレンドで築かれたテクニカルな要塞であることがわかります。城が築かれた関ヶ原以降の大築城ラッシュの様相を説明し、水堀をめぐらして平城を築き外構えで城下町まで囲い込んだ田中吉政の並々ならぬ筑後統治の意気込みを知る史跡として解説しました。
相変わらず拙い話しながら、みなさん熱心に聴いていただきありがたいことでした。

以外に柳川城跡の全体像を確認できることに気付いてもらえれば今回のねらいは果たせたといえます。
資料が良好に残る観光地柳川だけに「城跡」の縄張りを理解することで、自分たちの歴史と文化を営んできた基礎の部分を知ること、そして自分たちのまちのランドマークとかたちを知ってまちづくりに活用していただければ言うことないですね。

2008年7月10日 (木)

柳川の歴史を学ぶ歴史文化講座

週末の7月12日土曜日は柳川市三橋公民館で、「柳川の歴史を学ぶ歴史文化講座」でしゃべってきます。
時間は14時から。タイトルは
「縄張りからみた柳川城とその時代」です。

基本的には、『柳川市史地図編』に書いた10年前!の小論をベースに、柳川城跡を地域史の中にもっと位置付けることと、筑後柳川藩の田中吉政がもたらしたインパクトの大きさを伝える予定です。
ちょうど市史編さん室から中野等先生の『柳川の歴史3 筑後国主 田中吉政・忠政』が出てて、文献史料からみた田中吉政と城郭遺構からみた田中吉政を対比させるにはいいタイミング。ボクは『柳川市史 史料編Ⅲ『蒲池氏・田尻氏史料』を買いますけどオススメです。

何かと縁のある柳川市。
柳川城跡は現在は市街地となりほとんど遺構を残していませんが、一方で、天守台付近と川下りの水堀、そして地割からある程度の原型は残っているので、今のうちにどの辺りが城郭部のどの機能を担っていたのかをプロットしてまちあるきの目印にしたらいいのです。
名所はよくコース設定されていますが、近世城郭の大半が今の都市の基礎を成しているのは案外知られていない。そこで、城郭の縄張りを理解することがまちを理解することにつながるということを伝えるのが今回のミッションとなります。

うまくいくかな?


2008年7月 4日 (金)

柳川城の歴史講座をします

ということで7月。
5〜6月の月末は「北」のアートな場所をウロウロしていましたが、7〜8月は「福」の方へウロウロします。。。
今シーズンはあれこれ吸収し現場へ行くことを課しています。福岡のアートの現場を学んできます。

とは言え、もちろん城屋の仕事がメインです。
7月12日(土)は柳川市の歴史講座で『柳川城とその周辺』を話してきます。
まちが成立した背景に近世の城郭あり。
まちを理解するには城郭の理解が欠かせないのです。

しかし、まちのことや史跡は古文書からあれこれ調べ上げていても、都市の骨格を規制した城跡の評価と理解は「白紙」のまま「放置」という都市の多いこと多いこと。
福岡城もそのひとつです。石垣や縄張りだけでなく櫓まで現存しているなんて知らない人がほとんどです。鴻臚館や博多もいいけど福岡城の絵図資料集成を発行して、すぐれた「城跡」として市民に広めてあげてください。。。ってヨソのこと言えませんが(´д`;

柳川城跡は現在ほとんど残っていません。でも川下りのクリークは堀跡だし地割もそこそこ残っています。
それに立花家や柳川の人々、伝習館高校が散逸させずに残した藩政文書と良質の城絵図があります。
そして、それをきちんと整理する県立市営の柳川古文書館を建て、すぐれた市史編さん事業を行う中でそれらの絵図・地図資料を地図編としてまとめた柳川市の仕事があります。

そうしたすぐれた市史編さんとアーカイブズ体制を誇る柳川であっても、柳川城の位置付けは市民に広められているとはいえません。川下りの場所が城跡のどこなのか、どういった機能を果たしていた場所を通っているのか理解するだけで川下りも楽しくなるというものです。そうした理解の基礎となる柳川城の縄張り構造について、城絵図を用いながら、現在の城郭研究の視点から柳川城跡が現在の柳川市街地の基礎構造を成していることを提起する2時間になる予定です。

Foxkeh! フォクすけ!


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