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2007年10月31日 (水)

搬入の朝

朝から田能村直入の作品を借用に、大分市美術館に出張。
9時に着くとあちらの方々が出勤されてくる中でごあいさつ。

なぜか、不思議なことにアート系のみなさんが私に「お城のこと」を聴いてくるのです。
一応、アートのお仕事なんですけど(^_^;;; 、アートな方々が口をそろえてお城の話題を振ってくるのは「?」な気分でした。

で、その日の午後にわかったのだけれども大分合同新聞に遅まきながら佐伯市での栂牟礼城シンポの記事と写真が出ていたようです。
壇上にいる私はカメラ目線でしっかり写ってました(笑)

なーるほど、これでわたしの本業が城郭研究者であることがわかって、私にいろいろ聴いてきたのですね。
竹田市内では研究者私も、ちょっとは大分県下で城郭研究者であることが認知されたかな??
地域版記事ですけど、栂牟礼城の国指定史跡を推進するシンポに、国指定史跡として城郭遺構を位置づけする立場の「専門家」として、肩書き付きで出ていたのは「外部評価」としては実にありがたいことで、佐伯市教委さんには感謝する次第。

それにしても、この日朝刊でこの記事をみていたみなさんは、写真で出ている城郭研究の専門家が、まさかその日の朝に美術作品を借りに行ってるとは思わないだろうな(大笑)。

まあアートの仕事は目処が立ってきたので、もうひとつの軸、歴史の方に力点を置こうと思う月末でした。

2007年10月27日 (土)

冊子づくりに印刷所籠り

さて、手探りな中での冊子作成作業。
今週は、カラー図版のある冊子をこしらえるために火曜日から修羅場でした。
火曜日にカラー原稿を奪取?して納めてから色校正というものをやってきました。
火曜の午後と水曜の午前、木曜の午後と印刷所で画面をみながら色の感じを指示するのです。
そうしないとオペレーターさんは当たり前ですけど、カラー原稿のもとの色がわからないので調整できないのです。
とは言え、こちらも素人。頭に入れた色のイメージを手がかりに何とか指示を出して調整します。

それで金曜日に刷ってみると80%の出来でした。
ここで微調整できればいいのですが、それは無理のようでした。残念無念。

とは言え、カラー図版をつくる段階から仕上げをイメージして考えるいい体験になりました。
大きなところは伝授されるのでしょうけど、こちらは手探りと限られたリソースを用いないといけないので辛いところです。


2007年10月22日 (月)

豊前佐田城、再発見。

071022_11050001 秋は大友氏関連の城郭をおさえるために現地を回っています。
先々週の栂牟礼城に続いて、月曜日は豊前佐田城をみてきました。

安心院インターから近くの佐田集落から登山道ができていて楽に登れました。
戦国期豊前の有力国衆佐田氏の居城とされています。佐田氏は佐田家文書が良好に残されているので、文献史料から佐田城は佐田氏の城となっています。
それにしては県の悉皆調査報告書の図は技巧的だなと思っていたので今回の踏査と相成りました。

で、これは大堀切をすぎて最初にでてくる主要部の南西側にある石垣。
この石垣をひとめみて、即、結論。
                   ↓
佐田城主要部の遺構は、文禄〜慶長年間の黒田氏によるもの、或いはそれ同等の豊臣系大名による改修を受けたものです。

悩むまでもありませんでした。その後踏査しましたが、かなりよくできた織豊系城郭でした。
南西部の石垣は馬蹄状の石塁ラインでしたし、崩れていましたが栗石もあり、北東隅にも石垣ラインと石塁で形成された塁線がありました。
また、主郭は南側の両隅は空堀で直角に厳しい切岸になっており、堀切を隔てて北側に馬出状の曲輪がありそこから通路を通って北東隅に石垣で固めた虎口がありました。北側の石垣塁線上には横矢掛りもありましたし。。。
そして、特徴的な横堀と竪堀の組合せも横の遮断と堀底道に利用した技巧的な遮断線を形成しており、何より直線的かつ直角に折れる横堀は在地系ではありえません。というくらい直線的に仕上げられていました。

てなわけで、在地系城郭に間違いようのない織豊系城郭でした。というかどうみたら在地系城郭にみえるのか?と言いたくなるようなよくできた織豊系城郭でした。まあ防塁ラインの中身の曲輪は削平があまいため見極めが難しい面もありますけれども。。。

佐田城のこれまでの解釈は、文献史料に引っ張られる典型例と言えます。とは言え、遺構の指摘だけでは文献史料にひきづられた解釈へ異論をしても相手にされない場合が多いので、要、再調査リストに加えました(笑)
縄張り図をつくり文献史料を再読してみようと思います。別府から遠征かな?

2007年10月20日 (土)

「美作中世地域史研究を拓く」

週末は津山に帰省。
土曜日に美作大学であった「美作中世史域研究を拓く」シンポに行って来ました。

去年くらいから、メーリングリストにたびたび津山市で赤松氏研究会などが開催されるなどの情報が出ていたので、自分の膝元で16世紀関係の研究会があるのを見過ごすのもどうかと思い、ちょうどスケジュールも空いてたのでえいやっと帰省。

研究会の発表者は、わたしが大学院時代にお世話になった荘園研究の方が講演。2時間にわたる落語で鍛えた?熱弁は様々な事例を並べて美作の中世地域史の可能性を問うレジュメと共にとても学ぶところ多し。

企画された方にもあいさつできまして、美作中世地域史研究の土壌づくりを進めているようで、これからいろいろと仕掛けていかれるようです。
今後の展開に期待すると共に、国衆が盛んに動いた北部九州と同様に、美作地域は毛利領を挟んで16世紀の境目領域を考える上では興味深いフィールドなので、基礎的な地域情報を仕入れることができたのが収穫。

もうちょっとお話したかったですが今回は急ぎ戻らねばならなかったので、次回の赤松氏研究会では懇親会に参加しようと思いましたです。

2007年10月19日 (金)

田能村直入について

Tyokunyu 稼業のお仕事で、竹田出身の文人・南画家、田能村直入について短い文章をまとめました。
短い準備期間で幕末明治の転換期に生きた94才の人生を書くのは無理でしたが、作品図版な方はお願いして取り組んだ分少しは整理できたかなと思います。
自腹での京都(取材を頼みました)・大阪・堺・丹波・出雲を旅して取材してきましたので、あれこれ並べることが出来ました。
写真はサポートしてくれた方の個人蔵(笑)
こういうのを古書店で買ってくる辺りがプロです。

とあれ、近年、誰も田能村直入に関してまとまった考察を加えていないので何とかサマになりましたが、わたしは美術史な分野は無理なので「歴史屋の叙述でいくぞ」でやりました。誰か扱ってあげてください、ホント。

さてさて、絞め切り間に合うかな?

2007年10月13日 (土)

栂牟礼城シンポジウム

P1110267 ということで、佐伯市弥生町にある栂牟礼城を国指定史跡にするためのシンポジウムにパネラーとして参加してきました。
佐伯市教育委員会から本職の「城郭史研究者」としてお招きいただきましたので、喜んで仕事してきました。
ちなみに佐伯市の埋文担当者は合併しても1名だったとのこと。内実はよくわからないけど九州一広い市域で一人はどえらいことです。
来年ようやく2名になるとのことです。

シンポジウムというのは難しいものです。栂牟礼城を国指定史跡にもっていくことは何の異論もないのでよいのですが、妙にもちあげても白々しいですけどきちんと論じても他のパネラーさんが居るので浮いてしまうといった具合です。司会の飯沼先生(いつお会いしても中近東っぽいダンディさが魅力?の先生です)が記念講演&コーディネーターでうまくまとめられていました。

ポイントとしては、栂牟礼城の現存遺構は十六世紀後半の佐伯惟定段階のものであり、豊後国南部における戦国期城郭の到達点としては一定の評価すべき史跡であること、遺構の残り具合もよく中世佐伯庄を知る史跡として有効である点。麓に居館推定地と古市という城下集落らしき短冊状地割がセットになっている戦国期九州ではめずらしい事例である点などを説明しました。

ただ、難点は麓を東九州自動車道が通ること。ルート上の発掘で佐伯氏居館跡が見つかるかも知れないけど、景観的にはちとまずい面もあります。
とは言え、中世一貫して佐伯庄を支配した佐伯氏の栂牟礼城と、近世一貫して佐伯藩として支配した毛利氏の佐伯城の両方をピックアップすることで、佐伯市の歴史文化の「看板」ができることと拠点整備が望まれますね。
以前、勝尾城縄張り図を調査して鳥栖市教委に提供したことがあって、その勝尾城も国指定史跡になった経過があって講演会に呼ばれたら、おかげさまで鳥栖市から半径数キロ圏内に固定ファン?ができましたけれども、今回の佐伯市の栂牟礼城も国指定史跡になるといいなあと思う次第。

で、午前中は北部九州中近世城郭研究会の方々と栂牟礼城を見学。
思ったより山頂の曲輪の削平がよかったこと、そして曲輪からの虎口の形状がとても気になったので、一度縄張り図をとってみたいと思いました。一応個人的にOKをもらいましたので余裕ができたら縄張り調査を実施したいと思っています。
鳥栖市の勝尾城に続く、頼まれもしないのに縄張り調査、乞う御期待。

ウチも津賀牟礼城と山野城があるので、中世城郭つながりでネットワークづくりをしようかと思う今日この頃。

2007年10月 5日 (金)

10月13日は栂牟礼城シンポに出ます。

すっかり、観光アレルギーな掘り屋と文書屋に囲まれて学究にいそしむ今日この頃。
そんな中、拾う神ありで10月13日に佐伯市弥生町にある中世城郭、栂牟礼城のシンポジウムにパネラーで参加します。
なかなか城郭史分野の縄張り屋さんを起用してくれる文化財整備サイドはないので、佐伯市の依頼は実にありがたいことです。

○栂牟礼城シンポジウム
10月13日(土曜日)13時〜16時半で入場無料
佐伯市弥生町文化会館多目的ホール
佐伯市教育委員会文化振興課文化財係

講演は大学の先生や県教委の方なのですが、その後でパネラーとして途中登板するんだそうです。
当日は朝からみなさんで栂牟礼城見学するので参加しようと思っています。
栂牟礼城は国指定史跡を目指して動いている様子。

栂牟礼城は、山城と麓の館想定地、城下集落が残る大分県内ではめずらしい事例です。
また隣接して畝状空堀群による防御ラインがすばらしい小山田城があります(頂上部は破壊されているのが実に残念)
両者の対比を通して、初期の形態から最終期の佐伯惟定時代の整備まで、縄張り論の論点から意見できればと思っています。


Foxkeh! フォクすけ!


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