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2007年1月12日 (金)

京都アートツアー〜近代以前と以後をめぐる〜

P1060641 京都駅前で、京都市バスの500円チケットを買って岡崎公園まで。
岡崎公園の京都国立近代美術館の「揺らぐ近代〜日本画と洋画のはざまに〜」は明治からの日本画と洋画の悩ましい歴史を読み解く地味ながら意欲的企画。東近美&東京藝大と京近美の企画。もうひとつは七条三十三間堂前の京都国立博物館の「京都御所障壁画」。結果として前者で思いっきり時間をとってしまったのだけど、後者が夜間開館してたので、無事にハシゴできました(笑)

京都を旅するなら、市バスは欠かせません。けど京都は平たく碁盤の目なのでけっこうスイスイ歩けてしまいます。

二条と三条の間に位置する琵琶湖疏水前にある京都国立近代美術館での「揺らぐ近代」は狩野芳崖や高橋由一ら明治初期 の作品から戦前までの日本画と洋画の間の関連性について並べたもの。狩野芳崖の《悲母観音》などの日本美術史の明治辺りに出てきそうな「名画」を観まし た。維新後の新たな技術を吸収する彼らの背後にみえるのは維新で崩壊した公武のお抱え画師と町絵師の伝統。権威が失われ一気に無秩序かつ渾沌とした中での 模索が、現代の我々の眼にはキッチュな新鮮さとなって映る皮肉。
本当にお腹いっぱいになるくらいに意欲的な作品群。でも、近世絵画の系譜が崩壊し た後に、その残滓さえも亡くなった後に出てくる官製教育を受けた世代による芸術が形作られた後では、日本画・洋画といった作品群がなんと魅力のない味気な いものに映ったのは以外でした。いい絵だけど「つまんない」と思えてしまう自分に驚き。

P1060644岡崎の琵琶湖疏水前から東山通りを下ること20分で、七条・三十三間堂の京都国立博物館であるのが、狩野芳崖や高橋由一たちからほんの30年程前の安政年間に、京都画壇の御用絵師・町絵師たちが描いた京都御所障壁画の展覧会。こちらは佐々木丞平館長直々の展覧会企画。
会場いっぱいに並ぶ狩野派・土佐派から円山四条派、町絵師の系譜までが一同に並ぶ近世社会に至るまで積み立ててきた伝統的絵画手法・技術の蓄積、ヘリテージが生み出す和漢混在の絵画世界。それはそれはスペクタクル!
こちらの方がワクワクさせてくれたのは何故なんだろう?失われたものの大きさが魅力として映ったのだろうか?

安政から明治維新までたった10数年。カタストロフが目前に迫っていた時代が封印された近世絵画の残照。本来「正統な日本美術史」の系譜となるはずの豊かなイメージの世界。
しかし、それは京都御所の建造物から離れた、近代国家のシンボル的な欧風(レトロ)建築の京博が会場。そこで近代国家以前の絵画で彩られた空間を再帰的に捉える体験は、なんとも収穫ある内容でした。

部屋の内装を要求されるテーマに沿って部屋の雰囲気・演出するために描くのはまさに「内 装業者」です。画家である前に技術者なんですよね。実用であり必要であり部屋の使い勝手と共にあわさって上手い画師が観るもの・利用する者に美しさを与え てくれるわけです。実用の美というと工芸品に注目されるばかりですが近世までの美術は絵画も全てが「実用の美」なんだってことをあらためて実感。
となると。。。近代以後の絵画って日本画だろうが洋画だろうが、室内装飾的な絵画の要求から切り離され職人的様相からも切り離された「画家」像を求めることを求められる存在。
部屋を装飾するわけでもなく何の役に立つわけでもなく。。。なんともわからない官製の「美」、後にはインテリ層の求める美の概念を追究することにひたすらまい進したというのが「画家」の姿。なんともおかしさと哀しさを以て訴えてくる気がする。

両館が意図したわけでもないだろうけど、近代以前・以後をハシゴする二つの展覧会が対比するものは、おそろしく深淵で d(>_< )Good!!な企画でした。

ところで、現在の京都御所の広い敷地の内、1/3が御所と大極殿だったそうで。それ以外は宮家と公家の邸宅が密集していた公家街だったことは、今回はじめて知りました。
天皇御所以外の五摂家など上流公家の邸宅は明治維新と共に解体されて、今の「清澄」な御所に書き換えられたという事実に驚愕する次第。
逆に江戸は、将軍徳川家の御殿をはじめとする幕府の建物が、天皇の「奠都」で解体された。
つ まり、明治維新というのは、公家邸宅・将軍邸宅などの近世上流文化の財産を、「復古」という名で破壊しその後にキッチュな近代日本をあつらえた破壊的革命 行為だったことに戦慄を覚える次第。それを実行した下級公家と薩長土肥の下級藩士たちの品性は今日の霞ヶ関官僚にまでつながる。。。わけだ。

それにしても、清朝皇帝の遺産を「故宮」として遺した中華文明に対する、我が国文化の何と軽いこと。公家も武家の文化遺産も遺されていない哀しさ。日本国内で「伝統」という言葉が何と軽いかを復古を標榜した明治維新の「国なおし」が証明するという歴史の皮肉。

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