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2006年12月20日 (水)

歴史となった「昭和の教育基本法」

Snow1222asa_2 誰も頼んでいないのに全面改正されたので、歴史となった「昭和の教育基本法

学習権の保障や地域主権における教育行政の実施などといった基本的な問題は
修正や追加条項でも済んだ性格のもの。そういった「現実的方法論」を議論する方々もおられたような気がするけど、条項修正もしくは追加法で昭和の教育基本法はより磨かれた良い基本法となったことだろうに。。。

東大総長南原繁氏の名文で昭和以来60年も続いたにも関わらず、伝統を重んじるとかおっしゃる政党によって「革命」のごとく、戦後の伝統は廃棄されてしまった。(ちなみに同じ手法を憲法全面改正でやると、政権交代じゃなくて政体交代となります。)
むしろ、この名文の根底に流れる理論を読み取ることで、教育の真理を明示する作業が欠かせないでしょう。教育はこの社会とは何か、自然とは何かを、生まれてきた未来の者に現在生きている者が伝えるもの。
それを、ヤラセまじりの我田引水で書き換えて「教育とは」と宣うのだからどうしようもない。

代りに、官僚の作文に原文がパッチワークされた継ぎはぎの「平成の教育基本法」ができたわけだけれども、
それを実施する側が、生ぬるいと締めつけてもどんどん裾野が落ちこぼれ、わずかばかりのエリート層がセキュリティウォールの中にひきこもるような社会を再生産するのでは、未来の日本人の「国際競争力」は資本のピンハネに再生産の道を断たれて落ちていくばかりだ。日本国内の過疎地よろしくアジアの過疎地の道は加速されるだろう。

で、昭和という時代を明治に始まった帝政が破綻した20年分の「戦前」ではなく、その後44年の古き良き?「戦後」と位置づけるなら、歴史的に「昭和の教育基本法」を位置づけ、そのリベラルさとその後に訪れる無作為と足りなかったものを総括する必要がある。
その作業は、「平成の教育基本法」が如何に使えないかを歴史的に立証するためにも必要だと思うね。

2006年12月18日 (月)

「学者貧乏」の道

お金がはいると「書籍」に突っ込むのが、学者の矜持。
嫁を質に入れても。。。です。
昔は大分県立図書館に出ていた諸先生方の「論文集」をよく買っていましたが、最近はもっぱら史料集を中心に揃えるようにしています。けっこう高いのですけど、最近は自転車操業気味な出版社による「論文集」を追いかけるよりも、史料集を揃えた方がリーズナブルと思うようになりました。

とは言え、最近は仕事で学者されている先生方もあんまり書籍を買え(わ)ないので、歴史学系出版社は青色吐息のよう。これさえあれば文章が一生書けそうな『群書類従(正続116冊)』『史料纂集』も完成会が倒産してしまった次第で。。。
日本史や世界史は大学受験と無関係な学問と文部官僚の子分たちから冷や飯食らっていますが、肝心の大学研究者でも、研究費でしか本を買わない「教員」な方もいるとかいないとか。。(つД`)。
まぁ、置き場所の問題もありますが、

研究者たるもの、嫁を質に入れても生活費から買わなければいけません (`・ω・´)シャキーン!
家を傾けても、書物を買わねばなりません (`・ω・´)シャキーン!

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Foxkeh! フォクすけ!


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