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2006年4月 9日 (日)

佐賀城本丸歴史館へ出かけた

Tosu Sagajo3 鳥栖の勝尾城調査の仕上げが早く終わったので、鳥栖スタに間に合わなかったこともあり、佐賀にできた佐賀城本丸御殿を復元した佐賀城本丸歴史館を見学してきた。17時までだろうと大慌てで鳥栖から佐賀へ飛ばしたら20時まで空いているので余裕で見物した。

佐賀城本丸には国指定重要文化財となっている藩政時代からのホンモノ「鯱ノ門、及続櫓」と不思議な?天守台跡と石垣が残っているのは案外知られていない。その内側の空間を整備して本丸御殿を復元し、藩主の御座ノ間が公民館として現存していたので元の位置に移設してあわせて「佐賀城本丸歴史館」としてオープンしている。
隣には博物館・美術館があり、近くには大隈記念館やかつての武家屋敷エリアなどが残っていてけっこうこじんまりとまとまったエリアが整備されつつある。佐賀城は現存建造物と天守台、再現された復元施設と移設先から戻したかつての建物があって見学するにはちょうどいい組み合わせになっている。
福岡都市圏には手頃な大きさで城と城下町がセットになった都市はないと思っていたけれども、知らない間に文化財や博物館行政的には後進と思っていた佐賀がコジャレた整備がされているとは思わなかった。。。侮り難し(^_^;;;

Sagajo1 Sagajo2 Sagajo4 その佐賀城本丸歴史館は写真の通りで、史跡の上に再現するのはどうかという気もするのだが、復元された本丸御殿の式台や外御書院部から、藩政時代の御殿と言うものが想像以上に巨大な木造建築物であったことが直接体感できる。
藩政時代の御殿建築は名古屋城本丸御殿が戦前まで残っていたが空襲で破壊された以外は、ほとんどが小藩のものや部分だけというものなので、その巨大空間さを実際に体感することは難しい。その意味では部分とは言え大藩の御殿建築の空間体験が出来るのは、近世の藩政というものが何であるのか、どういった空間で生活と公務に勤しんでいたのかがわかり興味深い。
庇の空間でさえ畳敷き。通路も畳敷きなので、通路でもあり仕切ってしまえば控えの間にもなってしまう。現存する御座の間はこじんまりとした規模であるが書院としてはどのように使っていたのか想像の翼を広げることができる気持ちの良い空間だった。

ただ、注意しないといけないのは、こうした書院風の空間や御殿が現在イメージされている「伝統的な日本の生活空間」や日本間というものとは似ているようで全く違う代物ということだ。今のイメージされているものはこれらの建造物にみられる近世的な生活空間を否定した後に明治・大正期に再構成された「伝統的な生活空間」である。

佐賀城本丸歴史館は、今日すっかり失われ近代的解釈による伝統的空間イメージにスポイルされてしまった近世的な生活空間を再帰的に感じ取るのに好都合な施設となっている。立って歩き回るのではなく座った視線でその大きさ・広さを体感してもらいたいものだ。

そして展示はといえば、10代藩主鍋島直正の藩政改革とそれに伴う雄藩としての幕末佐賀藩とそこから輩出された人物の紹介がメインとなっている。けっこうコジャレていて「あるじゃん、佐賀」と言いたくなるくらいネタが揃っていて興味深かった。今まで博物館・美術館が地味にやっていたものが観光テイストを加えて前面に出てきたのはいいことなんだろう。鍋島報效会や県内各機関の所蔵史料も多くレプリカで展示してあった。長崎県は指定管理者制度をフル回転して美術館・博物館を整備したが元々の文化行政がオソマツだったので中身が伴わない印象を受けたのだが、佐賀県の場合は文化行政も整備されつつありけっこうまとまった印象を受けた。ただ、ベタな印象もあるので案外長崎県や国営吉野ヶ里と五十歩百歩かもしれない。
例えば、
目玉である直正の藩政改革を「行財政改革」という辺りは昨今の世相が反映された解釈であるのだが、それを言うならそうした地方 分権的な独自の改革路線も廃藩置県で中央に吸い上げられたわけですから、地方自治体合併=「行財政改革の末路」までトレースしているのも紹介してほしいと ころである(:-P
九博といい最近の博物館系展示はベタなのが多いので、このような学術的に「軽い」内容の展示が「わかりやすい」なんてされてはたまったものではないんだな。やはりひとひねり「裏テーマ」がほしいところである。
でも、図録はカタログとしては良い出来で安いので3冊とも「買い」である。

ついでに、11代藩主だった鍋島直大の娘伊都子さん(イタリア公使として滞在していたローマで生まれたそうだ)が梨本宮家(伏見宮系統)へ嫁いだこともあって、いきなり皇太子の衣装なんぞ皇室色の展示があるのも佐賀らしいといえば佐賀らしい。衣装が展示してあって、「伝統的衣装」をどのように近代的に考証していったのか華族の研究としても興味深いところだが
鍋島報效会が許可してくださらないだろう(´ー`)y-~~

とはいえ、佐賀藩は独自に洋式の兵制改革や海軍創出、大砲や船舶健造のための工業化を計っているのだが、考えてみれば長崎警固などで長崎と関係が深いのだから言われてみれば納得する次第。本当に独自にいろいろな事業を行っており、その過程で技術を学び現場で実践することからいろんな人物が輩出されたことを思えば、ドイツのように「佐賀藩国」なんてあったらさぞ独自色の「地方分権的政府」ができたことであろうと嘆息するわけです。同じような動きは紀州藩などにもみられたが、やはり廃藩置県で途絶えた。
そして、栄光?の幕末佐賀藩の軌跡も同じく廃藩置県で途絶え、その後は佐賀の乱などを経て「佐賀県」自体が消滅し、危うく長崎県や三潴県(いわゆる筑後)の一地域となりかねなかったわけですから、近代日本というのが独立を勝ち取った影で失った代償が大きかったことをあらためて知らせてくれます。
その意味では、単なるお国自慢にならずに、長野県が信州として試みているような地方分権の再帰的な「佐賀藩国」ルネサンスを追求せねばならないでしょう。そこまでやる人的リソースが今の九州にあるのかな?

帰りに久留米を通過すると、既に筑後川に九州新幹線の橋げたが工事されていた。
完成は平成23年。。。。あと5年で博多〜鹿児島間が1時間半の時代がやってきます。
我らが竹田市もウカウカしてられません。脱大分県、Look Westの精神で福岡・熊本にcommitする地域戦略を立てねばならないとあらためて実感しましたですよ。

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