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2006年4月 7日 (金)

アートと高原〜Plan2「白丹」との出会い〜

2月11日に参加したPlan2「白丹」の訪問記を一度、3月18日付けで書いたのですけれども、その後でお話してみて、Planの面白さを考えると「ライブレポート」的な書き方もさることながら、書いている時は楽しいけれども後で残すにはつまらなく感じる(→これはこれで「はじまりはお手紙から」でまとめた)。
ということで、長々なライブレポートはボツにして、アートと出会うこと(わたしが、その場所が)を書いてみるのも悪くないかなと思うところがあったのでそれを書いてみようと思う。

Makinoto3_1 Plan2「白丹」との遭遇?は、仕事用のウェブログが縁でDMをもらったから。それも知人の紹介ではなくて、Plan2の企画したアーティストからの案内で。
久住高原の白丹に「ダル・ヴィーダ」というアトリエギャラリーができていたことは知らなかったし、アーティストの側(つまり「アート」側)から興味を持たれて招待を受けると言うのははじめての経験でした。

普通はアーティストが行うイベントの告知なりを観て興味を持ってアプローチするか、たまたま見かけたギャラリーに立寄って出会うという主体的選択が多い。こうしたアートの出会いに慣れていたものにとって、見ず知らずの「アート」から誘われるというのははじめての体験。
後々で話す中で、誰かに広くみせる作品というものでもなく、ほんの何名か参加した人だけがその「アート」に参加し観賞(体験)するという「アート」なんだとようやく何となく認識できてきたけれども、その時はまったく予期せぬ来訪者(「アート」)をどう捉えるのか?で精いっぱいだった。

Unkaiaso_1参加することに決めたのは、このPlanの舞台となった久住高原という場所のふさわしさと、この場所を選んだアーティストに会ってみたかったから。
久住連山の南面に位置する久住高原はとても魅力的な場所だ。
常に太陽を正面に受け陽当りが良い。正面に阿蘇を一望し久住山を背にする立地。そして、この一帯は筑後川・菊池川・白川・緑川・大野川・大分川などの河川が集まる九州のてっぺん。
「久住でアート」リポートでも書いたけれども、久住の空と大地が織りなすパノラマとコントラストは「九州島」を感じると共に、実存的に「人が在ること」(ハイデガーさんが言っている世界内存在という感覚?)を体験できる重要な場所です。おそらく九州島で空と大地を感じる場所、実存的に自分を感じることができる場所は他にないでしょう。いや日本列島でも空と大地、自分の存在を感じることの出来る舞台配置を備えた立地条件はないでしょう(干し藁もいいがミニマルな彫刻が似合うはず)。

実際、有名な芸術集団TAOは九州の中で久住高原にホームを構えていて、多分にそうした場所性とそこに育まれてきた地霊(ゲニウスロキ)的なイメージを認識しているだろうと思うし、去年・一昨年にあった「久住でアート」企画は芸術的な感性を持つ人たちのコラボレーションで生み出されたすばらしい作品でした。
けれども、芸術的な感性を持つ方々が久住高原を知る機会も少ないし、また選んだわけでもなくこの地に生まれた地元の方に他者の視点から語る場所性はなかなか伝わらない。だから来訪者にこの美しさと「じぶんが世界に生きていること」を伝えることがなかなかできないもどかしさ。
確かに冬には降雪も多く、寒い。そして地下水位が低くブリテン島かハイランドのヒースの荒れ野を思わせるような厳しい自然環境である。でもオキーフも米大陸の荒野にアトリエを構えたように九州の自然と大地、場所性に向き合うアーティストが居てもいいと思うのだけれども。。。

Makinoto0 そうした場所に、実際にアーティストが建てられた新しい空間「ダルヴィーダ」。
久住高原の場所性を確かめるために、お招きに乗っても悪くはないだろうと参加することにしました。
Plan2「白丹」はアトリエ・ダルヴィーダに集まって、車に乗って久住高原から瀬ノ本→牧の戸→長者原の冬の風景を観よう。というもの。
実際に積雪になったら車どころではないのですけど(ですから竹田のタクシー会社は怖がったと思いますヨ。久住は地元なので土地勘があります)、幸いに雪はそこそこ積もっている感じで冬の久住・九重高原を楽しむことができました。今回はPlanに乗っているので様子見でしたが久住高原のいい「場所」をもっと知っておきたいと思ったものです。
参加者は10名程度(きちんと数えていないというくらい余裕がなかった)で、福岡・熊本・大分などあちこちから参加された模様。やはり久住は九州の大きな河川が集うところ、ひともいろいろな縁で集まる「磁場」があるのを実感。
南面の久住側はそれほどでもなかったけれども、北面の長者原・牧の戸は積雪も多く冬山登山客が多く来ていた。雪の道を歩き、ちょっと登って樹木に雪玉をつくって手を加えるのもアートな雰囲気がなせる技。

わたしをふくめて参加者は、個別の縁が網の目に結び合ってひとつのPlanに集まった様子。それぞれは何かしらクセのある方々がそれぞれにPlanに参加し思い思いの場所を占めるスタイル。
リポートでも書いたけれどもイメージするのはトーベ=ヤンソンのムーミン谷シリーズ。大自然の中の小さな存在(あちらは妖精のようなトロール)が住むムーミン谷のひとびとも思い思いに暮らし、思い思いに自分の場所をムーミン谷の場所に置き、それぞれが付かず離れずの距離感で共存するスタイル。
美術館やギャラリーが要求されるハコではない場所‥‥久住高原の場所性に委ねられたダルヴィーダ(するとここはムーミン屋敷?)‥‥そこで、観客でもない参加者が思い思いに自分の場所をデザインする。そのデザインも一旦つくってオシマイではなく、自分とまわりのひとたちとの関わりから常に変動し続ける流動性を備えた不安を背にした中での制約された中でこそ生み出される縁が織りなす楽しさ。

この時は、惜しいことに所用があってPlan2「白丹」は途中で中座することになった。けれども困ったことに依然Planの中に巻き込まれたままです。この文章を書いているのもPlanの中にあるのかもしれません。

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