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2006年4月26日 (水)

デイリーアート2006、リハビリのとまり木

Dailyart大昔から美術館に行くのが大好きなのだけど、高校・大学時代は美術部に在籍していた。高校のときに、今は亡き恩師が「きみは芸大行かないのだから好きに描くのがいい」と教えられたせいもありずーっと自己流であれこれ描いたものです。クロッキーによるデッサン法の本を愛読していて何度もクロッキーを重ねて眼で線をつかむことを試したことがあります。
使った画材はカラーインクとアクリル。福岡の山本文房堂によく通い、馬出の地下にある医系部室にもぐりこんで制作してました。
大学の時には佐賀→大分→鹿児島とあちこち出かけて福岡と久留米と大分と鹿児島などで部展などに勤しみましたが、やはりイロハ抜きの自己流では自ずと限界があって、研究活動を優先させると共にしばらくお休みしていました。

そんなこんなで10年近くが経って、まさか美術館チックな仕事をしているとは夢にも思わず。。。なところに舞い込んできたのが「リハビリしない?」という企画「デイリーアート2006」の誘い。鹿児島界隈の美術部仲間のOB・OG辺りがGWに鹿児島市立美術館地下展示ロビーを抑えて結成されたリハビリのとまり木として結成された「鴨池一丁目美術協会」。去年の夏にロッソ観戦鹿児島ツアーの際に誘われたのをいいことに、OKと言ったもので今回とまり木に留まって制作再開することにしました。
今回は、かつての自己流で職人的制作テクニックが全く積み上がっていないのを反省して、基礎的な技術的視点を組み立てることで、自分のイメージするものを造り出せるような技術的視点に沿ったノウハウを積み立てることを取り組んでみようと思いました。アートを楽しむにもスキルがないと面白くありません。

長い月日の間にアクリル画材は岡山方面へやってしまってたのを思い出して、4月になってから大分と言えば竹町ガレリアにある名門キムラヤ画材店にでかけてきました。大昔、大分の美術部仲間と上のギャラリーで展示したのは何年前?相変わらずのキムラヤ画材店でした。
久々にじっくり店内を回る気分は初心者そのもの。ドキドキです。アクリル画材でリキテックスのカタログを片手にひとつひとつ確認しながら品定め。往時のイメージと勘が甦るものの妙なプレッシャーをひしひしと感じながらウロウロ。。。。
絵を描こうと画材を買う時にはどれを使うとどうなるというイメージが伴わないと難しいですね。。。というのが初心者の一番高いハードルかもしれないなぁ。ホームセンターで日曜大工の材料買い出しするのとあんまり変わらない。

アクリル絵具はとりあえずリキテックスのミキシングセットで色の組み合わせを一度やろうと思い購入。それと別に作品制作用にパネルとジェッソ、ジェルメディウムとモデリングペーストを仕入れました。
帰ってからパネルにジェッソで塗って乾かしてからメディウムで下地づくり。そして着色とテクスチャーをいろいろと工夫して制作しています。
さてさて、南国アートどころの鹿児島に5月1日メーデーに搬入なのですが、どうなることでしょう。
その前日は呑みですかな。。。

2006年4月19日 (水)

「今日の芸術」と「日本の伝統」

Taro1 Taro2 大分と岡山を往復する間に読んだのが岡本太郎の著書『今日の芸術』と『日本の伝統』。前者は光文社知恵の森文庫から出ているのを買って、後者はみすず書房の「岡本太郎の本2」を島根県立美術館で買った。2005年に光文社知恵の森文庫から出ているようなのだが、みすず書房の方は3000円するけど「芸術風土記〜日本再発見〜」の内の岩手と出雲(何と言う奇縁!)がついてていいかもしれない。実際は岡本太郎の本全5冊をそろえてみるといいかもしれない(在庫僅少)。

読んでみて思うのは、『今日の芸術』と『日本の伝統』は対で読まねばならないということ。そして、一見アジテーション的な文章で「芸術的」なカウンターパンチを食らわせるようにみえて、実際は、掴み所のない近代的産物である今日の日本について、如何に現在の我々が対峙しぶつかるための思考と方法論を、彼が体得し続けた様々な学問分野を駆使して提示する実に知性的で理論的な書物であるということ。そのくせ読んでいるとワクワクさせるのだから厄介だ。読むたびに「なるほどそういう視点があったなぁ。」とワクワクする一方で、彼の思考・論理展開を支える豊かな学問領域はとても参考になったし学ぶところが大きかった。

岡本太郎は芸術家・アーティストとしての側面が強く情熱的で情念的でエキセントリックな印象が人々にガツンとした魅力を与えているように映るけど、本当はおそろしくモダニズムの洗礼を受けた学者であり理論家だと思う。わたしは亡くなった時にやっていた回顧展をみるために博多から広島まで鈍行で行ったこともあって、岡本太郎の作品が大好き。でも、そのワクワク感は間違いなく彼の豊かな教養と総合的知識人・理論家としての態度から感じるものだと思っている。
哲学・歴史学・民族学などの概念を援用するのではなく、パリ大学で体得した哲学・社会学・民族学の理論をもとに切り込むからこその切れ味。彼の論の是非も含めて彼の採った思考・方法論、彼を支えた学術的基盤、そしてそれが実践された芸術表現といった連環はきちんと押えなければならないしこの総合性を学ぶべきだと思う。
おそらく、美学・美術史や美術評論でたくさんのタロウ像が出されるだろうけれども、学術的基盤を正面から捉えないとアーティストとしての特異性や残された言動ばかりが強調されて、「岡本太郎」教の信者になるのがオチな気がする。死んだタロウに救いを求めて「元気をもらった」としても何の慰めにもならない。

以前は前者しか文庫本でなかったので、「学術本」然とした後者をわざわざ3000円も払って買う人は少なかったと思うので、案外前者のアジテーションな部分に幻惑されるアーティストな人が多々あったような気がするのだけれども、後者も文庫本になったので合わせて読むといいと思います。
日本や日本の美術、今日のあり方について哲学・社会学・民族学などの総合的な学問領域でぶつかり、読み解こうとした人っておそらく岡本太郎以外にいないような気がする。それだけに重要な古典と思います。

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2006年4月17日 (月)

ドイツへの道〜旅行ケースを買う〜

Remowa ドイツへ行くのに、旅行ケースがなかったので物色することになった。
2002年の日韓大会の時には、ボストンバック2つを括るカートを福岡三越で買って出発したが、当たり前のように飛行機に乗る際にはばらさなければならなかった(笑)
おまけにカートをハッチラックに入れようとしたら注意された(当たり前か(^^;)

ということで、今回のドイツ旅行は長旅でもあるのでキャリーバックな旅行ケースを買うことにした。

ところで、最近ちまたはキャリーバックが流行っている。週末は岡山に出かけていたのだけれども新幹線でもあちらこちらでキャリーバックを転がす老若男女をたくさんみかけた。。。というか隣の席の方はキャリーバックを持っていた

確かにキャリーで運ぶと便利なんでいいなぁとは思うのだが、転がしたり階段を上り下りしたり列車内を移動する様子をみるにつけ、キャリーバックの横幅がすごく気になって仕方なかった。
確かに、中に詰める必要があるので横幅が広いのは当然なのかもしれないけれども、転がすのが難しいシチュエーションであの横幅を持ち上げて運ぶのはかなり無理な姿勢になる。畢竟、グイグイと強引に転がしてみたり無理な姿勢で移動するのはあんまり見ていて機能的ではないし不便そうだし、周りからするとけっこううっとおしい感じがする。おまけに横幅が広いと列車内に置くのが難しかったりと何かと厄介だ。

これは、列車の設計が、大量にビジネスマンをすし詰めに乗せることを優先する日本の鉄道会社のデザイン理解力のなさと、すし詰めでも安ければいいとコストカットを支持するユーザの悪循環なタッグのおかげなんであるが(唯一奇跡的なのはJR九州だが、ここも昨今はコストカットでチープになりつつある。)そもそも多客期にグリーン車を子連れ用車両に用いて快適に移動してもらおうとか、車に対抗したファミリーセットを用意しようという発想がないのが鉄道会社のサービスなのだ。その辺はヨーロッパの特急を拝んで善し悪しを比較検討してみようと思う。

とはいえ、でかいサイズのキャリーケースなんぞ買うと果たして移動に大丈夫なのかと心配になる。国内でも難儀するような60リットルとかなんとかな大きなケースで海外なんて‥‥皆さんどうやってるのですか?
今回はドイツW杯便乗ウロウロ旅なので、ますますでかいケースを抱えてウロウロする姿はイメージしづらいものがあります。

そこで発想の転換。。。そもそも必要なものをキャリーバックに入れて後は中規模のリュックなり背負って分けてしまえば楽なはずで、リュックなりバックパック、ボストンバックと組み合わせる必要最低限のキャリーバックを買えばいいのではと考えた次第。ところが
横幅の抑えたキャリーバックというのが案外ない。小さなタイプでも意地でも横幅を取って容量確保を図ろうと機能そっちのけで悪戦苦闘したデザインが多い。横幅があると上に乗せれるし‥‥というのもあってなかなかスリムなデザインが見当たらない。

てなことで、地球の歩き方ウェブなどでのショッピングでは全くイメージがまとまらないので実物を見てみようと、用事ででかけた福岡ついでにかつて行き慣れた新天町にぶらりと出かけて品定め(ノ´∀`*)テヘッ

と、さすがに昨今はキャリーバックが流行しているので、以前はリュックを探しきれなかった新天町の老舗キムラヤ本店にもたくさんキャリーバックが並んでいた。

百聞は一見に如かずで、横幅と別に気になっていたソフトタイプのキャリーバックをみせてもらった。ウェブでも見たブランドのがあったけれども、キャリー部分は固い素材なのに対してバックは柔らかいという組み合わせがどうも気になって仕方ない。背負えるタイプもあったけれども背負子のような感じで背中にキャリー部分や車輪が来るし何よりベルトが弱そうな印象を受ける。3ウェイバックでベルトと金具が案外ショボイという刷り込み?があったので、とりあえず横幅を取らないものという最初の方針からパスすることにした。
ということで、あれこれ観ていてたどり着いたのが、一番コストパフォーマンスの悪い(笑)RIMOWAのキャリーバックというか旅行ケースなサルサ。なぜならこれしか横幅がいい感じのものがなかったんだわ(-ω-)。
このサルサくんをみたときに、なんでこういったタイプのデザインが他にないんだろう?と思ったくらい。

このRIMOWAというのはドイツなブランドらしい(いいじゃん、ドイツだし。とはちょっと思った)。ウェブで仕入れた未確認情報では実際は半値くらいらしいのだが、高いのは関税のためらしい。しかしiBookと同じポリカーボネイド素材はMac使いにはピピン!と来るところである。かたちはほとんどトランク状態で小さな30リットルサイズは軽くてしなやかな丈夫さがあって、いわゆるレトロな旅行ケースなカタチなのでゴロゴロ転がした後でヨイショと担げるカタチなんである。ただ
ポリカーボネイドなのでどうみてもポリバケツな感じがするのが難点といえば難点。光沢のあるシルバーはカッコよいのだが普通のバックの2倍はするという代物がさらに高くなるので、Mac使い故に多少の値段の較差は慣れっことは言えオイソレと選択できるものではないヨ。サルサを前にして散々周遵してあれこれ使うイメージを考えに考え、おまけに黒と赤(赤茶?)なランドセルかい?な選択肢しなかったのでさらに考えに考え。。。。
結局、冒頭の写真の通り「赤」のサルサを買うことに決めた(σ・∀・)σゲッツ。何より目立つ色なので探すのも楽だろうし。ウェブで買うという手もいいのだろうけど、アフターサービスを考えると新天町の老舗キムラヤで買えば後々便利かな?と思い、こちらで買うことにしました。

おかげでさっそく、天神駅の改札口を通って地下鉄でゴロゴロ転がしてみましたよ。やはり百聞は一見に如かずで、実際の使いここちとヨイショ感はバッチリでした。赤というのは微妙に抵抗があるが何か貼付けてアレンジすればいいのだろうか?とりあえず買っちゃったので後はどれだけ荷物が積み込めるかが課題。
これで国内の遠征も国外の遠征も、もちろん夢のアジアクラブ選手権遠征ででも赤サルサくんが活躍してくれることだろう。セレッソらしいものを貼付けてアクセントをつけてみるかな?

2006年4月13日 (木)

琉球の文化と「我々の文化」

Ryukyu今度、九州国立博物館で琉球王国を採り上げた特別展「うるまちゅら島琉球」が開催されます。
今日の日本国内にあって、かつて独立した文化圏を持った地域を如何に捉えることができるのか、「国立博物館」という近代国家の産物の今日のあり方を九博がどのように捉えているのかお手並み拝見というところです。琉球王国の文化はそれそのものが魅力的であり、沖縄県にいけば本屋で『高等学校琉球・沖縄史』が手に入るように、近代化の過程で日本国に含まれながらも独立した文化圏の認識を持つ地域です。
一方、日本の美術を扱う側としては、常に琉球王国の文化をエキゾチシズムで消費してしまいやすい側面と、日本列島の文化と彼我の関係が常に問われる他者の文化を「われわれ」と括ってしまいやすい近代的枠組みの誘惑に引っかかってしまう、またその代案を見出しにくい難しいテーマです。日本史でもしばしば周縁(どこの周縁と言いたいのだろう?)と扱い、列島史と琉球史を相対化するといった視点は抜け落ちやすいのが現状です。

少々厳しく言うならば、第一弾が田舎者の九州人に「日本の美術」を紹介する日本版中華思想な代物だったし、第二弾が中国といっても米国で開催された特別展の組み直した輸入巡回展(図録みたらわかる)で、どこに九博があるんだ(便乗企画くらいか?)という代物だったので、第三弾となる琉球で九博らしさが問われることになるわけですから注目です。

‥‥東アジア世界の中にあって、海を舞台に繰り広げられた多彩かつ多様な交流の歴史を持っていたのです。その 独自性というのも、琉球の地理的あるいは歴史的な事情を反映して、日本や東アジア諸地域の文化の様々な要素を養分として芳醇に実ったものでした。展覧会に 来ていただく方々が、作品を前に、あるいは親しみをおぼえたり、あるいはエキゾチシズムを感じたりするとすれば、こういった琉球の歴史的な背景が関係して いるのでしょう。とはいえ、これはやはり独立したひとつの文化です。
 アジア史的な観点から琉球を見つめることによって、われわれ自身の文化が一面的なものでなく、多面性をもっていることを改めて認識したいと思います。
 日本と中国の間に位置した琉球の文化が、東アジアの激動の歴史の中で形成されつづけてきたことを、総件数150件の優れた美術品と歴史資料をとおして紹介し、来観される方々に、豊かで力強い琉球の世界への旅をお楽しみいただきたいと思います。
‥‥

と言う(日本と中国の間の琉球って!)説明をみるにつけ多分「ベタ」に扱うだろう予感がするけれども(そうでなければ、さすが九博!と思うけど)、それも含めて今の我が国の美術史、歴史学の現状を示すサンプルとなることでしょうから注目です。

琉球もいいのだが、肝心の「九州」はいつまでたっても出てこない。次こそ期待して待っておきたい。

2006年4月 9日 (日)

佐賀城本丸歴史館へ出かけた

Tosu Sagajo3 鳥栖の勝尾城調査の仕上げが早く終わったので、鳥栖スタに間に合わなかったこともあり、佐賀にできた佐賀城本丸御殿を復元した佐賀城本丸歴史館を見学してきた。17時までだろうと大慌てで鳥栖から佐賀へ飛ばしたら20時まで空いているので余裕で見物した。

佐賀城本丸には国指定重要文化財となっている藩政時代からのホンモノ「鯱ノ門、及続櫓」と不思議な?天守台跡と石垣が残っているのは案外知られていない。その内側の空間を整備して本丸御殿を復元し、藩主の御座ノ間が公民館として現存していたので元の位置に移設してあわせて「佐賀城本丸歴史館」としてオープンしている。
隣には博物館・美術館があり、近くには大隈記念館やかつての武家屋敷エリアなどが残っていてけっこうこじんまりとまとまったエリアが整備されつつある。佐賀城は現存建造物と天守台、再現された復元施設と移設先から戻したかつての建物があって見学するにはちょうどいい組み合わせになっている。
福岡都市圏には手頃な大きさで城と城下町がセットになった都市はないと思っていたけれども、知らない間に文化財や博物館行政的には後進と思っていた佐賀がコジャレた整備がされているとは思わなかった。。。侮り難し(^_^;;;

Sagajo1 Sagajo2 Sagajo4 その佐賀城本丸歴史館は写真の通りで、史跡の上に再現するのはどうかという気もするのだが、復元された本丸御殿の式台や外御書院部から、藩政時代の御殿と言うものが想像以上に巨大な木造建築物であったことが直接体感できる。
藩政時代の御殿建築は名古屋城本丸御殿が戦前まで残っていたが空襲で破壊された以外は、ほとんどが小藩のものや部分だけというものなので、その巨大空間さを実際に体感することは難しい。その意味では部分とは言え大藩の御殿建築の空間体験が出来るのは、近世の藩政というものが何であるのか、どういった空間で生活と公務に勤しんでいたのかがわかり興味深い。
庇の空間でさえ畳敷き。通路も畳敷きなので、通路でもあり仕切ってしまえば控えの間にもなってしまう。現存する御座の間はこじんまりとした規模であるが書院としてはどのように使っていたのか想像の翼を広げることができる気持ちの良い空間だった。

ただ、注意しないといけないのは、こうした書院風の空間や御殿が現在イメージされている「伝統的な日本の生活空間」や日本間というものとは似ているようで全く違う代物ということだ。今のイメージされているものはこれらの建造物にみられる近世的な生活空間を否定した後に明治・大正期に再構成された「伝統的な生活空間」である。

佐賀城本丸歴史館は、今日すっかり失われ近代的解釈による伝統的空間イメージにスポイルされてしまった近世的な生活空間を再帰的に感じ取るのに好都合な施設となっている。立って歩き回るのではなく座った視線でその大きさ・広さを体感してもらいたいものだ。

そして展示はといえば、10代藩主鍋島直正の藩政改革とそれに伴う雄藩としての幕末佐賀藩とそこから輩出された人物の紹介がメインとなっている。けっこうコジャレていて「あるじゃん、佐賀」と言いたくなるくらいネタが揃っていて興味深かった。今まで博物館・美術館が地味にやっていたものが観光テイストを加えて前面に出てきたのはいいことなんだろう。鍋島報效会や県内各機関の所蔵史料も多くレプリカで展示してあった。長崎県は指定管理者制度をフル回転して美術館・博物館を整備したが元々の文化行政がオソマツだったので中身が伴わない印象を受けたのだが、佐賀県の場合は文化行政も整備されつつありけっこうまとまった印象を受けた。ただ、ベタな印象もあるので案外長崎県や国営吉野ヶ里と五十歩百歩かもしれない。
例えば、
目玉である直正の藩政改革を「行財政改革」という辺りは昨今の世相が反映された解釈であるのだが、それを言うならそうした地方 分権的な独自の改革路線も廃藩置県で中央に吸い上げられたわけですから、地方自治体合併=「行財政改革の末路」までトレースしているのも紹介してほしいと ころである(:-P
九博といい最近の博物館系展示はベタなのが多いので、このような学術的に「軽い」内容の展示が「わかりやすい」なんてされてはたまったものではないんだな。やはりひとひねり「裏テーマ」がほしいところである。
でも、図録はカタログとしては良い出来で安いので3冊とも「買い」である。

ついでに、11代藩主だった鍋島直大の娘伊都子さん(イタリア公使として滞在していたローマで生まれたそうだ)が梨本宮家(伏見宮系統)へ嫁いだこともあって、いきなり皇太子の衣装なんぞ皇室色の展示があるのも佐賀らしいといえば佐賀らしい。衣装が展示してあって、「伝統的衣装」をどのように近代的に考証していったのか華族の研究としても興味深いところだが
鍋島報效会が許可してくださらないだろう(´ー`)y-~~

とはいえ、佐賀藩は独自に洋式の兵制改革や海軍創出、大砲や船舶健造のための工業化を計っているのだが、考えてみれば長崎警固などで長崎と関係が深いのだから言われてみれば納得する次第。本当に独自にいろいろな事業を行っており、その過程で技術を学び現場で実践することからいろんな人物が輩出されたことを思えば、ドイツのように「佐賀藩国」なんてあったらさぞ独自色の「地方分権的政府」ができたことであろうと嘆息するわけです。同じような動きは紀州藩などにもみられたが、やはり廃藩置県で途絶えた。
そして、栄光?の幕末佐賀藩の軌跡も同じく廃藩置県で途絶え、その後は佐賀の乱などを経て「佐賀県」自体が消滅し、危うく長崎県や三潴県(いわゆる筑後)の一地域となりかねなかったわけですから、近代日本というのが独立を勝ち取った影で失った代償が大きかったことをあらためて知らせてくれます。
その意味では、単なるお国自慢にならずに、長野県が信州として試みているような地方分権の再帰的な「佐賀藩国」ルネサンスを追求せねばならないでしょう。そこまでやる人的リソースが今の九州にあるのかな?

帰りに久留米を通過すると、既に筑後川に九州新幹線の橋げたが工事されていた。
完成は平成23年。。。。あと5年で博多〜鹿児島間が1時間半の時代がやってきます。
我らが竹田市もウカウカしてられません。脱大分県、Look Westの精神で福岡・熊本にcommitする地域戦略を立てねばならないとあらためて実感しましたですよ。

2006年4月 7日 (金)

アートと高原〜Plan2「白丹」との出会い〜

2月11日に参加したPlan2「白丹」の訪問記を一度、3月18日付けで書いたのですけれども、その後でお話してみて、Planの面白さを考えると「ライブレポート」的な書き方もさることながら、書いている時は楽しいけれども後で残すにはつまらなく感じる(→これはこれで「はじまりはお手紙から」でまとめた)。
ということで、長々なライブレポートはボツにして、アートと出会うこと(わたしが、その場所が)を書いてみるのも悪くないかなと思うところがあったのでそれを書いてみようと思う。

Makinoto3_1 Plan2「白丹」との遭遇?は、仕事用のウェブログが縁でDMをもらったから。それも知人の紹介ではなくて、Plan2の企画したアーティストからの案内で。
久住高原の白丹に「ダル・ヴィーダ」というアトリエギャラリーができていたことは知らなかったし、アーティストの側(つまり「アート」側)から興味を持たれて招待を受けると言うのははじめての経験でした。

普通はアーティストが行うイベントの告知なりを観て興味を持ってアプローチするか、たまたま見かけたギャラリーに立寄って出会うという主体的選択が多い。こうしたアートの出会いに慣れていたものにとって、見ず知らずの「アート」から誘われるというのははじめての体験。
後々で話す中で、誰かに広くみせる作品というものでもなく、ほんの何名か参加した人だけがその「アート」に参加し観賞(体験)するという「アート」なんだとようやく何となく認識できてきたけれども、その時はまったく予期せぬ来訪者(「アート」)をどう捉えるのか?で精いっぱいだった。

Unkaiaso_1参加することに決めたのは、このPlanの舞台となった久住高原という場所のふさわしさと、この場所を選んだアーティストに会ってみたかったから。
久住連山の南面に位置する久住高原はとても魅力的な場所だ。
常に太陽を正面に受け陽当りが良い。正面に阿蘇を一望し久住山を背にする立地。そして、この一帯は筑後川・菊池川・白川・緑川・大野川・大分川などの河川が集まる九州のてっぺん。
「久住でアート」リポートでも書いたけれども、久住の空と大地が織りなすパノラマとコントラストは「九州島」を感じると共に、実存的に「人が在ること」(ハイデガーさんが言っている世界内存在という感覚?)を体験できる重要な場所です。おそらく九州島で空と大地を感じる場所、実存的に自分を感じることができる場所は他にないでしょう。いや日本列島でも空と大地、自分の存在を感じることの出来る舞台配置を備えた立地条件はないでしょう(干し藁もいいがミニマルな彫刻が似合うはず)。

実際、有名な芸術集団TAOは九州の中で久住高原にホームを構えていて、多分にそうした場所性とそこに育まれてきた地霊(ゲニウスロキ)的なイメージを認識しているだろうと思うし、去年・一昨年にあった「久住でアート」企画は芸術的な感性を持つ人たちのコラボレーションで生み出されたすばらしい作品でした。
けれども、芸術的な感性を持つ方々が久住高原を知る機会も少ないし、また選んだわけでもなくこの地に生まれた地元の方に他者の視点から語る場所性はなかなか伝わらない。だから来訪者にこの美しさと「じぶんが世界に生きていること」を伝えることがなかなかできないもどかしさ。
確かに冬には降雪も多く、寒い。そして地下水位が低くブリテン島かハイランドのヒースの荒れ野を思わせるような厳しい自然環境である。でもオキーフも米大陸の荒野にアトリエを構えたように九州の自然と大地、場所性に向き合うアーティストが居てもいいと思うのだけれども。。。

Makinoto0 そうした場所に、実際にアーティストが建てられた新しい空間「ダルヴィーダ」。
久住高原の場所性を確かめるために、お招きに乗っても悪くはないだろうと参加することにしました。
Plan2「白丹」はアトリエ・ダルヴィーダに集まって、車に乗って久住高原から瀬ノ本→牧の戸→長者原の冬の風景を観よう。というもの。
実際に積雪になったら車どころではないのですけど(ですから竹田のタクシー会社は怖がったと思いますヨ。久住は地元なので土地勘があります)、幸いに雪はそこそこ積もっている感じで冬の久住・九重高原を楽しむことができました。今回はPlanに乗っているので様子見でしたが久住高原のいい「場所」をもっと知っておきたいと思ったものです。
参加者は10名程度(きちんと数えていないというくらい余裕がなかった)で、福岡・熊本・大分などあちこちから参加された模様。やはり久住は九州の大きな河川が集うところ、ひともいろいろな縁で集まる「磁場」があるのを実感。
南面の久住側はそれほどでもなかったけれども、北面の長者原・牧の戸は積雪も多く冬山登山客が多く来ていた。雪の道を歩き、ちょっと登って樹木に雪玉をつくって手を加えるのもアートな雰囲気がなせる技。

わたしをふくめて参加者は、個別の縁が網の目に結び合ってひとつのPlanに集まった様子。それぞれは何かしらクセのある方々がそれぞれにPlanに参加し思い思いの場所を占めるスタイル。
リポートでも書いたけれどもイメージするのはトーベ=ヤンソンのムーミン谷シリーズ。大自然の中の小さな存在(あちらは妖精のようなトロール)が住むムーミン谷のひとびとも思い思いに暮らし、思い思いに自分の場所をムーミン谷の場所に置き、それぞれが付かず離れずの距離感で共存するスタイル。
美術館やギャラリーが要求されるハコではない場所‥‥久住高原の場所性に委ねられたダルヴィーダ(するとここはムーミン屋敷?)‥‥そこで、観客でもない参加者が思い思いに自分の場所をデザインする。そのデザインも一旦つくってオシマイではなく、自分とまわりのひとたちとの関わりから常に変動し続ける流動性を備えた不安を背にした中での制約された中でこそ生み出される縁が織りなす楽しさ。

この時は、惜しいことに所用があってPlan2「白丹」は途中で中座することになった。けれども困ったことに依然Planの中に巻き込まれたままです。この文章を書いているのもPlanの中にあるのかもしれません。

はじまりはお手紙から

前後しますけれども、2月11日に参加した久住の佐藤さんのためのPlan2「白丹」訪問記〜はじまりはお手紙から〜の原稿を書きました。どういった内容かは別エントリーにて。

イベントリポートのような感じなので本文は後にアップします。

Foxkeh! フォクすけ!


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