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2005年10月 8日 (土)

久住でアート、光と大地のコンサート

SiraniliveSiranilivepan久住町白丹にある「ランブリングローズ」で、光と大地のコンサートと銘打ったアートイベントがありましたので行ってきました。
とても洒落たレストラン&PUB(宿泊ね)な店内で、9月に竹田で聴かせていただいた重松壮一郎さんの演奏、
熊本で活躍されている川原一紗さんのボーカル、そして、大分で活動されているアーティストの北村直登さんのライブペインティングのジョイントというコラボレーションを前半50分も(゚O゚)!観ることができました。
店内の会場はフランスで活動されている北村誠司さんのスタンドのようなにょきにょきキャンドルで彩られその舞台でコラボレーションが行われました。そして、後半の重松さんと川原さんの演奏の後では、企画側でもある堀田貴子さんがライブ演奏の間に発酵させ焼いたパンをみなさんに提供するという、コラボレーションにコラボレーションを重ねたとても練られた内容のコンサートライブでした。

その場の空気・土地性、自然を吸収し即興性に富んだ重松さんと川原さんの、音色ともメロディーともこえともうたともつかない、渾沌とした世界から紡ぎ出され時に「曲」や「うた」として捉えられるかと思えばまた渾沌に戻るような音の世界を、ライブペインティングでやはり抽象的な図像から視覚イメージが浮き上がる絵の世界を、観客は、聴衆となり鑑賞者となって参加し自分のイメージの世界へ消化して流し込む。そんな作業と、やはり音やイメージを発酵と焼く間に吸収しておいしく焼き上がったパンを観客がライブの後で味わい消化する作業が見事に重なっているのですから、とても秀逸。聴覚と視覚と味覚と嗅覚、そして触覚の五官を見事に組み合わせた
見事なアートイベントでした。脱帽。

ですから、わたしは、それを本当に何の気兼ねもなく聴覚・視覚が既成のもの・意味に簡単に結び付けないように、ソファのようなイスがあったのを幸い、ソファに身を委ねて本当に寛いで何も解釈しようとせず、絵を描く作業に注視するのをあえて避けることで、音とこえと、時に視覚に入るイメージと、久住白丹の土地性・地霊(ゲニウスロキ)を全身でひたりながら、その流れに身を委ねることで浮かび上がってくる(触発された)あれこれな思考を泳ぎながら、至福の一時を過ごすことができました。

白丹がある久住は、阿蘇・久住と九州の尾根であり、ここから筑後川・大野川・白川・菊池川などの河川が周囲に流れてゆく源流です。逆に海から陸に上がり河川を伝って生命が進んできた最後のフロンティアだったのが山地だと思えば、この九州の尾根はすべての到達点、後は「天」へ通じる他ないのです。海から陸、そして山から空(天)と交信するという図式。

そんなイメージから派生して、久住山は古くは山岳信仰があり、白丹の領主が上流の猪鹿狼寺に懸仏を奉納していた故事を思い起こしながら山岳と仏性、かたちのないものとかたちのあるものの関係、音や声などの無形のものから有形のものが生み出されること、生み出す作業である芸術のことなどをツラツラ考えていました。

山の神聖さが自然に人々に植付けられてきたことは、久住・白丹には古来から山岳信仰(久住山猪鹿狼寺)があったことからもうかがえますし、そうした過去の人々が久住に感じていたものがどのような要素で育まれたものだったのかを考える「手がかり」として、久住白丹で開かれた、さまざまな形態のアートと人々がこの場所に集った機会に参加することで、そうした山の聖性をアートな空間と時間を共有する行為から実感できたのが今回の大きな収穫でした。本当に体の中を音が流れてゆく感覚というものを体感出来たのは実に得難い経験でした。

とあれ、九州において、阿蘇・久住が、中でも南面する久住高原がアートの場所としてふさわしいことをあらためて再確認できました。その意味ではここを拠点にしているTAOって先見の明があるのかもしれない。

Foxkeh! フォクすけ!


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