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2005年9月13日 (火)

司馬さんが生きてたら。。。

よくよく考えれば世襲制らしい特定郵便局のルーツは知られていない。
で、ウィキペディアの「特定郵便局」ではルーツはあんまりつかめない。明治時代に郵便制度を普及させるための郵便局だったらしい。
で、とあるホームページに載っていた「特定郵便局とは?」をみると、


   郵便局の種類の一つで、明治4年(1871)の郵便制度発祥以来、地元の有志が私設で局舎を提供し、局長は、地域に密着して国民の福祉の向上のために奉仕しています。
   特定郵便局の局長は、私費を投じて国家奉仕のために局舎を提供し、代々その地域に居住し、転勤しないことを原則としています。その地域で郵政事業以外の様々なこと(例えば、福祉活動、文化スポーツ活動、地方自治への協力、各種ボランティア活動等)
においても公的役割を担って活躍できるのも、このような環境にあるからです。日本の郵便局のルーツは、ここにあります。

   戦前までは三等局などと呼ばれた、全国津々浦々、全市町村の約13,000局による郵便局ネットワークが構築されました。小学校、駐在所、駅、役場などと同様に様々な公共的役割を担ってきました。

であり、何とおおかたのイメージ操作とは逆に、
「公的役割を担う私設の郵便事業」

がルーツということだ。官を民でやるのが特定郵便局だったわけだ。私人が民のために行う公共事業というわけですな。
地方の鉄道が地元資本で建設しそれを鉄道省が買収して国鉄を生みだしたのと同じ系譜と言える。
元々私設で設置した「私営(所謂、民営)」というルーツが世襲制の名残ということらしい。
確かに、そんな「慈善事業」のような業務は他に代りがいないだろうから、その親族が引き受けると言うのも地方ではあり得る話しだ。なるほど民権保守ベースな荒井参議院議員が吠えるわけですな。

このページには、司馬遼太郎氏の『この国のかたち』が引用されている。

 18、19世紀の近代国家の設備としての条件は、大学と鉄道と郵便制度だろう。
       あるいはこれに病院をいれてもいい。
       以下は、郵便制度の話である。明治政府は、維新後わずか四年で、手品のようにあざやかに制度を展開した。
       手品のたねは、全国の村々の名主(庄屋)のしかるべき者に特定郵便局(当時は、郵便取扱所)をやらせたことによる。
       むろん、官設の郵便取扱所(のちの一等・二等郵便局)は、東京・大阪を手はじめとしてつくったが、面としての機能は、津々浦々の『名主郵便局』が担った。
       建物は、名主(庄屋)屋敷の一隅をつかうだけで十分だった。
       『駅逓頭』という職にあった前島密は、旧名主(庄屋)に郵便をあつかう気にならせる上で、かれらの名誉心を十分に刺激した。
       まず、郵便事務が公務であることを説いた。
       ついで、局長は官吏に準ずるという礼遇をした。
       さらには、身分は旧幕府のご家人なみの判任官とした(のち、年功の大きな者の場合、高等官にのぼる例もあった)。
       また、旧幕府時代の名主(庄屋)がそうであったように、わずかながら手当がつけられたことも、かれらを満足させた。
       むかしの士分の禄が米だったということを重んじ、金銭で給与せず、わざわざ玄米一日五合にするほどの細心な配慮をした。
       かれらはいよいよ満足した。
       
当然ながらこれによって、郵便事業に参加した旧名主(庄屋)層は、新政府からもそれにふさわしい礼遇をうけたとして、犠牲を覚悟して参加した。
       名主(庄屋)というのは、江戸期でもっとも公共精神のつよかった層なのである。

※司馬さん独特のレトリックなので多少は裏取りをする必要があるが大筋では間違ってはいまい。(もっとも昭和以降の国家主導型システムで公営色は強まったと思うが)。

うーむ、今回の結果をみたら、司馬さんは卒倒していただろう。
地元の公共圏を取り入れて(民活だわな)急速な近代化を達成した近代の国家制度を称えるはずの保守層の末裔が、今回はそれを私的な癒着だとして見事に否定したわけだからやってられないだろう。
普通は明治以来の公共心のルーツに立ち返ろうと「指定管理者制度」でもよかったわけだ。

あらためて調べてみたわけだが、もっと早く知っていればよかった。
それにしても、こういった司馬さんが言ってた初歩的なことすら用意できなかった、論壇のえらい先生たちは怠慢としか言いようが無いなぁ。私人の公共心から運営された特定郵便局などを、私企業など経済の論理でやったらうまくいくんだという議論なんだから、今後
公共心とか奉仕の心なんて二度と口にするべきじゃないな。
もっとも都市保守層にはそうした公共心など臨むべくもないそうだが。

追記。
ところで、報告書を買うのやウェブで購入する際の代金に郵便振替で送金してきましたが、振込用紙は60円、 通帳間送金は130円です。銀行はかなりの手数料とられる(つД`)。のも分割して運用してるからでしょう。これからこの手の通帳管理手数料がかかってく ると、クレジットカードが普及してくるんでしょうかね?
まぁ、みなさんがお選びになられた郵政「私営」化ですから、銀行の口座サービスも何でも手数料 徴収システムは改善されてほしいものです。銀行間のやりとりもグループ化を進めてもっとリーズナブルになって当然でしょう。それでこそ、私営化の競争原理 が働くというもの。期待してますヨ。

2005年9月 4日 (日)

重松壮一郎さんのライブ

9月最初の週末は、竹田の町は八朔まつり。
八朔は、徳川家康の江戸入部の日であったことから幕府の創立記念日みたいな日になったことでお武家さんの記念日なんだな。それがお祭りになっているというのは城下町らしいということ。見立て細工がありました。これってアートです。

shigematsuさて、そんな喧騒を避けて、廉太郎通りにあるアラヤサーラヤで重松壮一郎さんのライブがありましたので聴きに行きました。地元でアートプロデュースや表現活動したりするコットンさんところの主催。
八朔まつりで呑んでいたので、端っこで大人しく聴いていました(ノ´∀`*)テヘッ
とても繊細なピアノの饒舌な表現にいい気分で過ごしました。ちょっと眠くなったのは気持ちいいからですよね?
竹田も何かしら「旦那さん」文化があるので、いろいろな演奏家のライブが時たまあるのですが、重松さんは別格!
こんな近くで聴けてええんかな?というくらい気持ちいいサウンドでした(*´∀`*)
竹田でいると、自然が近く余計な音が少ないのでそうしたネイティブな音を拾う機会が多いんですけど、
人工的な自然系音楽ではなくて、重松さんが奏でるサウンドは、感覚がとても自然な音に近い感じがするんですよ。
もちろん竹田ですから、音響がいいわけではないんだけれども、重松さんから何かしらの雰囲気が湧き上がりそれが空間を充填してゆくと言う感じで、とても心地よい空間が生まれました。

とはいえ、心があまのじゃくなわたしは、颱風とか自然の猛威に晒される自分たちというのもあるので、
そんなサウンドってどういった感じになるのかな?とも聴いてみたいような気もするσ(^_^)。
それでも荒々しいものではないような気がするなぁ。。。どんなんだろう。
トーベヤンソンさんの作品に学んだのですけど、我々は自然の前ではチッポケな存在なのです。

終わってからライブ録音の2枚のアルバム買いましたが、とてもイイです(・∀・)。
さっそくiTunesに入れて聴いています。CDトラック名も送信しましたですよ!
聴いていると、最初は仕事がはかどりますがそのうち眠たくなります(笑)。
何かスローな波長を出しているのでしょうかしら(´・ω・`)ショボーン

ウェブみてみると、カフェスローというのがありました。スローを本当にシステムとして構築する試み。
ふーん、カフェ文化は盛んになっていると聴いていましたが、そんなネットワークもあるんだと思った収穫のある一日でした。

Foxkeh! フォクすけ!


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